君子国・丈夫国・周饒国。どの国にも、冠をかぶった王がいた。冠は、複数の国を統治する者の印。自国の民には不要でも、他国の民には、知らない王を見分けるために必要だった。冠は、越境する王の証だ。『山海經』は、日本に百以上の国々があると。その代表がこれらの国だった。
そして、君子国の南には、さらにもうひとつ。
■ 大人国――『海外東経』より
君子国の南、敦賀・若狭だろうか。舟を造り、海を渡り、中国大陸の蓋州近くに市を開いた国。また、日月が出るところに近い場所にも。関東での交易もこの国が? 更に粛慎国の北側に分国を持つ。彼らは「未開の人」ではない。「国引き神話」を持つ、海と技術を掌握した、堂々たる商業国家だった。
この列島の多様性は、中国の正史にも、くっきりと刻まれている。『漢書』地理志、倭人=百余国、東鯷人=二十余国。『後漢書』『三国志』、倭は三十余国に再編され、邪馬台国が盟主となっても、東と南の拘奴国が対抗した。『日本書紀』は大倭王を仲哀天皇と理解した。『梁書』に至っては、倭国、文身国、大漢国、扶桑国、女国。列島全体が、王国の密集地帯だった。
それぞれの国に、王がいた。冠をかぶり、剱を帯び、海の道を駆け、交易を行い、暦をつくり、政治をおこなう。それぞれの王国が、それぞれの歴史を持っていた。やがて、それらは統合される。 〝ひとつの日本″として語られるようになる。しかし、その前には確かにあった。列島全体を舞台にした、王国ラッシュの時代が。
そう考えると、古代の「天皇」とは何だったのか? 唯一の王ではなく、それぞれの王国に存在した、〝三人の天皇″だったのかもしれない。そして、そのうちの一系統だけが、歴史をまとめ、他を吸収し、〝日本″という名を持った。
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