2017年4月14日金曜日

最終兵器のミサ 古事記と日本書紀の神話

 古事記と日本書紀の神話を比べると、最初に出てくる神様が全く違って、古事記は天御中主で日本書紀は国常立で、日本書紀の国常立は古事記で6番目、日本書紀に天御中主は本文に出てこないで一書の中に3番目に書かれているけれど、一番偉い神様を譲り合って後ろの方に書くはずがなくて、遠慮しないで1番目に書くのが権力を持っている人たちだ。
とゆうことは、古事記を書かせた王は天御中主を祀っている王で、日本書紀を書かせた王は国常立を祀っている王なのだけど、実際に書かせたのは元明天皇と元正天皇の親子で、しかも、元明天皇はまだピンピンしているのに祀る神が違うはずがない。
同じように、国として祀る初代の王は日本書紀は天照大神で古事記も天照大神と言ってはいるけどどちらかというと大国主の活躍にかなりの文字数を費やしてかいていて、しかも、日本書紀の優柔不断な態度に対して古事記では剣先を突き付けられて国譲りを迫られているように、大国主を重視している。
古事記と日本書紀は似ているようで全く違う趣を持っている史書を同じ王朝が書いている摩訶不思議なかたちをていしているけれども、この意味は、本来違う王朝が書いた史書を自分たちの史書にしようとしていることを意味していて、自王朝に史書があればこんな状態は起こらない。
国を産んだ神、初めて国を開いた人物の前にもし人がいるとしたら出国前の土地の両親がいる程度で何人もいることなど有るはずがなく、記紀は伊弉諾・伊弉冉の神話にいくつかの支配者が神話を積み重ねたとゆうことだ。
日本書紀を書いた王朝は一書で天御中主が3番目に出てくることから古事記を書いた王朝を後から2つの王朝が入れ替わっていることを意味していて、古事記を書いた王朝は日本書紀を書いた王朝の後に6王朝入れ替わった、とゆうことは、日本書紀の王朝は支配権を取り戻したということをしめしている。
それで、最初に国産みする島が日本書紀が馭慮嶋次が淡路洲そして大日本豐秋津洲だけど、古事記は淤能碁呂島次淡島そして淡道之穂之狭別島で後ろの方に大倭豊秋津島と記述しているけれど、これも神々と同じ意味を持っていて古事記を書いた王朝は秋津を基盤とした王朝を後ろにしてしまって、日本書紀の王朝は3番目だけど淡島を子に入れていないので実質1番目だ。
すなわち、日本書紀を書いた王朝は天御中主を祀る秋津をを地盤とする国から奪ったと書いているようで、もちろんその王朝は馭慮嶋で建国した国常立を祀り初代の王は天照大神で、日本書紀を国史に採用したのだから元明天皇の前の王朝は日本書紀を書いた王朝で、そのまま元明天皇が採用したと考えるのが妥当だ。

2017年4月12日水曜日

最終兵器のミサ 中国史書と日本書紀

 前回は三国志が古事記の対象外の国のことだと証明したけれど、三国志以降の隋書までの中国史書と日本書紀もまったく合わないけど、教科書は無理やり奈良天皇家の話とこじつけている、だけど、隋書を読むと、阿蘇山の情景を書いていて、奈良の話とはとても思えない。
そして、聖徳太子を天皇にしてしまい、裴世清は簡単にだまされて隨の官僚はパープリンと、なんと失礼な日本人と思いませんか。
中国に対抗して日出る国の天子と宣言する失礼な臣下の国に偵察を兼ねてやってきた官僚たちをあまりにも軽視する、分析力のない、米国を分析できずに日本を凄惨な戦いに導いた官僚と同じだと見たのだろうけれど、中国は白村江で大勝しているのだから、中国の分析は間違っていないことを証明していて、現代の古代の見方が間違っているのを証明した。
とゆうことは、唐の時代も、日本書紀と隋書は違う国を対象にしていると書いていて、倭国の東に秦王国があって倭国に付属しているとは言っているけど、これもどうかわからないし、王国というのだから王様がいる。
   『隋書』
 又至竹斯國 又東至秦王國 其人同於華夏以為夷洲疑不能明也 又經十餘國達於海岸 
 自竹斯國以東皆附庸於俀

そして、倭国は大王と呼ばれていて、古事記には全く登場しない地位で、2つの考え方があって、古事記は元々大王と書いてあったものを天皇にしたか、元々大王と書かず天皇と書いてあったかのどちらかだけど、古事記には王子も皇子もどちらも書いてあって、大王と書いてあればそのまま書いたと考えることが妥当に思えて、日本書紀では大王も天皇もどっちも書いてあって、大王は仁徳天皇から舒明天皇の間だけ書いていて皇極天皇の大王は朝鮮の王の話で、日本の大王は629年が最後だ。
そして、継体天皇の時代に百濟本記という朝鮮の今では残っていない本に日本の天皇や太子・皇子が死んだと書いていて、大王を書いているのだから、原文のまゝ天皇と書いていたと考える方が妥当に感じる。
だから、継体天皇の時代には朝鮮では日本と呼んだ秦王国の前があって王を天皇と呼んでいて、その時代に九州には大王と呼ばれた倭国があって、秦王国が629年まで続いていたということ。
その後で、倭国が消えて日本国が突然現れているけど、倭国と日本国は別国だけど国の領土が突然増えることはありえないし、もとの秦王国の有った地域にしか新しい日本を誕生させる地域はないし、この秦王国の地域が日本で、政権自体も連続性が無いように旧唐書では記述しているけど、新唐書では一転同じ国としていて、新唐書は天皇の相続に血縁を書いていない天皇が有る。
ようするに、隋書以前の中国史書は日本書紀や古事記と違う地域をずっと書き続けてきて、その東にずっと中国が無視した日本があって、日本書紀・古事記には中国のことがほとんど書いていない、すなわち、日本書紀も中国を相手にしていないのだけど、新唐書の時代には日本は古の倭国だと書いていて、筑紫から出発して奈良で建国したと書いていて、現在の天皇家が初代から奈良にいらっしゃったことになって、旧唐書から新唐書の間に旧倭国が政権を奪ったことが解る。

2017年4月10日月曜日

最終兵器のミサ 古事記と三国志

 前回は、江戸時代の国粋的学者の小さな井戸の中で大将なら良いという考え方で出来上がった説の話をしたけれど、あのひとらが重視した「古事記」と「三国志」を本当に彼らは読んだのかと言いたくなる。
「三国志」に出てくる国は「イト国」以外は「古事記」に全く出てこないことをあの人たちは知っているのだろうか。
多くの、人達が三国志の研究者が地名当てをしているけれど、みんなこじ付けばかりで、邪馬台と倭、對海と對馬、一大と壱岐その他は全く古事記に出てこない。
「伊都」以外は中国の見方と日本の見方が違うのだけど「伊都」は同じということは邪馬台国の認識と古事記を書いた日本の認識がちがう。
そして、「三国志」では矛で都を守っていると書いているけど、古事記には矛は出てくるけどそれは祭祀に使う道具で出てくるだけで、日本書紀の武器は剣で、まさか、邪馬台国がおまじないで女王様を守っているなどと言うことはないだろう。
ようは、古事記と三国志は違う地域のことを書いていて、日本は、壱岐・対馬・伊都他約30国以外の地域のことだということで、前回書いたように、邪馬台国は福岡市東区近辺糟屋郡と書いたように、筑紫は三国志が書く倭国で、日本は三国志が書く東の倭種ということになる。
そして、後漢書に書く漢時代には東に「クナ国」があったのに三国志では南と書いているように、後漢の時代に東の倭種が「クナ国」を押しやった結果を書き、その落ちぶれた「クナ国」になかなか勝てないため中国に泣きついたのが邪馬台国なわけだ。
    『後漢書 卷八十五 東夷列傳第七十五』
  自女王國東度海千餘里至拘奴國 雖皆倭種 而不屬女王
   『三国志』
  女王之南又有狗奴國

だから、東の倭種は「クナ国」の地域も支配下にしてより強大になった国なのだけど、中国はただの倭種としか書いていない、ということは、中国が東の倭種は敵で無視していて、たてまえで、後に倭国の付属国と倭の5王が言っているけど、百済を除外されているように、実際は付属国ではなく独立した国々で、中国と敵対している国を倭国の付属国としたのだ。
もちろん、その倭国を日本は攻撃していないので、もしかしたら、中国との緩衝材としていたのかもしれないけど、継体天皇まで日本は倭国を攻撃しないで、筑紫の王の磐井を攻撃してその蜜月関係は終わったけれど、戦果は糟屋郡(邪馬台国があったところ)だけで葛子は許されているということは、直接中国と対峙したくないという戦略があった。
すなわち、三国志の倭国は古事記に記述されていない、福岡平野と佐賀県・長崎県・壱岐・対馬・種子島・屋久島・薩摩が倭国の領域で、筑後平野以南、宗像以東、関東以西が古事記の書いている日本だった、倭国と東の倭種を合わせた地域というのは銅鐸が出土している地域のことでその国々が前漢時までに中国に朝貢した120余国で東の倭種の国々の名前を知っていて、東鯷国がそのうちの20余国と書いていた。
   『漢書 卷二十八下 地理志第八下 呉地条』
 會稽海外有東鯷人 分爲二十餘國 以歳時來獻見云

2017年4月8日土曜日

最終兵器のミサ 「古田武彦」も信じていなかった

 「古田説」は「三国志」を信じると大見得をきって、距離を全部足すと総里程1万2千里にならなければならないともっともらしく書いて、フミ国を糸島半島の根本に持ってきて、東側の福岡平野を邪馬台国(邪馬壱国)として、ナ国への里程は傍線で無視し、2万戸の国を狭い糸島平野に押し込んだ。
三国志はフミ国の南と書いているのに、少なくとも東南と書かなければ合わないのにここには目をつむっている、ダブルスタンダードそのもので、しかも、その後の中国史書や日本書紀・古事記は偽書扱いだ。
ようは、中国鏡がたくさん出る糸島か早良・春日に邪馬台国を持っていきたいだけの詭弁だったわけで、自分の説に酔いしれて、その後の歴史観が崩れてしまって8世紀に九州王朝を潰してしまった。
だからと言って、邪馬台国を奈良だ筑後だという話にはならなず、途中からつじつま合わせをした「古田説」が違うだけで、三国志を信じるのは間違いではない。
つじつま合わせしないで、南にナ国と邪馬台国があるフミ国でイト国から8キロ弱東の場所、すなわち、糸島平野の東で、南に2万戸のナ国と7万戸の邪馬台国をもつ細長い場所は糸島半島・能古島・志賀島・海の中道しか無く、ナ国にもフミ国にも接したどちらの国からも玄関口だからどのルートを使っても1万2千里。
しかも、日本書紀の神功皇后が卑弥呼・台与にあてられて、香椎宮に居を構えたと書いているとおり、福岡市東区が卑弥呼の都としっかり対応している。
だれが読んでも、この結論になってしまうが、古田説の半周読法と短里説が考えに及ばず(古代史学者で三国志を原文で読んだ人物がいなくて)なのか知らないことにして自説に合わないから切り捨て、短里は現代人なら地図を見れば明らかで、距離から概算すれば福岡平野以外設定できず、しかも、邪馬台国には中国人の軍人がやってきているから、北にフミ国、西にナ国が隣接していることが解るように記述しなければ中国の読者にわかってもらえないことは当然で絶対間違えないように書いている。
そんな一目瞭然のことを見て見ぬふりをしなければならないのは、邪馬台国も奈良にいらっしゃる天皇家でなくてはならないため無視したが、すでに、九州の賊の説を言った人物が存在したが無視してしまって、なぜなら、天皇家は宮崎県から奈良にやってきて日本を統一したので、既に、九州は国譲りによって支配下でなければならなかったのだろう。
これだけ、天皇家崇拝をするなら、どうして、中国の冊封体制(中国の臣下)に組み入れられたことに満足したのか不思議でならず、中国の力でクナ国に対抗し、朝鮮半島を侵略して中国から官位をもらうことをどうして良としたのだろう、日本で一番になっても中国の家来で喜んでいるわけのわからない国粋学者たちだ。

2017年4月6日木曜日

最終兵器のミサ 「 あおきてつお」おまえもか

 「あおきてつお」って言う漫画家のなんか消し忘れのページが表示されてしまったらしく、それを読んだんだけど、相変わらずの偉い先生の説や受け入れられてもいない有名人の説をつまみ食いして自説を書いていて、意見を頂戴って書いてあったので、社会的影響力がある有名人が意見表明するには論証が足りなくて無責任だとメールを送ったら現在は新しくしたとの言い訳と意見に対するお礼が来た。
私が今まで書いた偉い人への感想に初めての返事でちょっとうれしかったけれど、残念なことに私とは相いれない説なのが残念、漫画で若い人にアピールしてくれることは感謝している。
 前回まで若い人への入門編を書き続けたけれど、これから詳しく解説していこうかなと思います。
日本のフルイハナシすなわち古代史、ここからちょっと難しくなる、は偉い先生方の「邪馬台国」の認識から九州説と奈良説に分かれて、ただの地名論争が始まりなんだけど、それが今も続いているんだけど、原因が地名なんで証拠を出しても決定的な説にならないし、反対するのも同じ、それで済ませておけばよいものを、反対説を否定するのに証拠になった本や遺物が偽物と批判するものだからお互いが偽物同士で、泥仕合になってしまって現在に至っている。
すなわち、最大の被害者は古書や遺物で三国志は間違いだらけ、中国で発見された三角縁神獣鏡は古物商の偽証といわれのないレッテルを張られてしまって、もっと悲惨なのは古事記や日本書紀で8世紀にかいた三文小説扱いだ。
たかだか、天皇家が最初から奈良にいらっしゃって、中国史書が日本のことを書いてあるのは天皇家のこと以外ありえないという非科学的な妄信が最大の間違いであったのだから、そろそろ無視すればよいのだけれど、なかなかそうは行かず、学閥のしがらみから抜け出ることができないよう。
それを、マスコミが無批判に垂れ流すため、有名人は思い付き、たくさんの説からおいしそうな所だけ摘まんできて面白おかしく膨らませるパターンで、ここでは、論争の原因は完全に忘れ去られて、邪馬台国が九州か奈良の理由探しではなく摘まんだ合う説に乗っかって是がこの人物の定説になってさらにわけのわからない説を積み上げていくわけだから、これは説なのではなくただの妄想になってしまった。
大本の、奈良説を正当化するために言い出した反対説の資料の偽作説が間違いで正しい、当然、否定された自説の補強資料も正しくて、奈良説や九州説が間違っていたことを認めなければ話が進まないのだ。
邪馬台国は筑後山門でも奈良の大和でもないと、そこに、古田説が出てきたけれど、この説もただのかっこ付けだったのだけどそれは次回に。

2017年4月4日火曜日

最終兵器のミサ サイゴッペ

 どうだったかな、みんななにも自分の意見に合わないってシャカリキに古い本を嘘だ、間違いだ、作りもんだって騒がなくても意味を考えればまったくノープロブレムってことさ、自分の意見を考え直せってこと。
神話なんてさぁ、空から神様が降ってきたんだぜ、島を造っちゃうんだぜ、百年も天皇って生きてるんだぜ、そう書いてあってメッチャメッチャ、こんなのシンジらんないってゆうのもわからないでもないけどね。
神様は空じゃなくって対馬から伊都の海岸へ、飛び降りたってゆうのは他人の土地をトバして奈良に押し入った、島に国を造った、百年は数人の親子相続だったら全然問題なしだろ。
日本にはたくさんって意味のヤオヨロズっていう言葉があるんだから、年はみんな八百万年にすればいいじゃない、細かい数字は意味があって、百数十国のすべての王様の生きた年数を足せば大きな数字になるじゃない
国を造った場所も、みんなが、九州全島だ、四国だ、本州だって思っているだけで、その一部の小さな島くらいの土地を港に使うために国を造ったって思えばまったくノープロブレム。
イナバの白兎って人が隠岐の島から鳥取県にサメを並べてやってきたって考えるからおかしんで、隠岐の沖島から隣の島にサメを船につなげてきたけど嚙まれちゃって大けがしたってことと考えれば十分ありそうじゃない、神話はみんなに話して面白くするから、どんどん話を盛っちゃうじゃない
もともとは、イザナギって神様を信じるヒルコって人がアワシマ(コロ島)って国を造ったんだって話を、このアワシマが隠岐の島の島だと思うんだけど、船でたくさんの宝を矢じりと交換して持ってくる旦那が力をつけて威張りだして男の神様を作り出したってことで、だけど、やっぱりこの国は女王様が中心の国で、王様が変わっても女王様が変わらなきゃみんな我慢したってことじゃないの、だから、奥さんの親を見れば意味が分かってきちゃうわけで、日本書紀はアンカン天皇がモノノベさんやコセさんの娘を嫁にして力を見せつけて、古事記ではキンメイ天皇のときソガさんと親戚になってゲンメイ天皇っちのナカトミさんがのしてきたってこと。
中国や朝鮮から侵略されたって言い張るのもいいけど、それなら、中国の奥のほうでいわゆる弥生人とおんなじ骨を見つけてこいやってこと、日本海側はだめだよ、日本人が船に乗っていっているからね、朝鮮なんて日本人のたまり場だかね。
、これまでかいたこと、日本書紀の読み方を変えただけで、なんも盛ってないはずだけどなんか筋がとおっているじゃないっておもわないかな、もしかしたら読み方がまだちょっと違うかもしれんけど、みーんな日本書紀や古事記に書いてあることだから、間違ってると思う人は原文を読み直してみてよ、現代の言葉に訳したのはだめだよ、それこそ間違がってるかもしんないからね
で、いつでもみんなの意見をまってるよ、ただし、アッコウゾウゴンってゆうやつはかんべんしてね、それから、誰かがこう言ってるよってのもやだよ、こっちは偉い先生方を敵に回してるんだから偉い先生がこう言ってるって言われてもね、その先生間違ったことから出発してるから間違ってんじゃないで終わり、そで、日本書紀に書いてるものが間違ってるって言っても日本書紀をつかわないで証明するのってむつかしいよ、だいたいどんな本でも間違ってるって言っても証明できないよね、あとから間違いだって決めつけるのどうなのかな
間違いを証明するんならレポート用紙100枚ぐらい使って証明してほしいよね、まあ、日本書紀の中でムジュンしてるのを見つけるのが一番てっとりばやいかな

2017年4月2日日曜日

最終兵器のミサ ゲンメイ天皇のツヅキガラって

 ゲンメイ天皇のご先祖様を見ようと思えばかんたんで、いくら何でも自分のイエガラのはじまりを後の方に書く人っていないよね、だから、神倭磐余彦、偉い先生たちはカンヤマトイワレヒコって読むんだけど、これはミワのイワレの彦(ヌシでもミミでもない)、ようは、オオモノヌシが銅鐸國に侵入したとき敵はニギハヤヒの子孫のナガスネ彦(ここも彦)と戦っているんだ、てことは、ゲンメイ天皇のご先祖さんは銅鐸国のイワレ村の村長になったってこと、お次が神ヌナカワ耳ってのは銅鐸国から神国って、朝鮮の人が東に神国があって日本ってゆうって書いてるんよ、だから、島根の国の人の子分の耳って主より下っ端のヌナカワってとこの村長さんみたい、で次は伊賀や名張や美濃の地域で、後から説明するけどケイタイ天皇の母親が大津だから大津近辺のシキツってとこの子分だけど村よりも大きい郡長の娘を嫁にもらって、少しの間は似た状態だったんだけど、大倭ってゆう島根の人の倭ってとこを治めた人の子分になって、お次は、おそらく福井県の三国近辺のミマツってとこ、そして、親分がタラシってゆう島根の国の王様の次かその次クライの子分に、そんで、島根の人の国の倭根子ってとこの子分、倭根子ってとこの親分が大国から独り立ちしてその倭根子ってとこの子分になったんよう
でもちょっと待った、この時タンバの王様の娘さんを嫁にするんだよ、でつぎはミマキってとこにうつって、奥さんにオオヒコの娘え?、オオヒコって銅鐸国をやっつけた人ってことはミマキって銅鐸国の事じゃ、ミマキって楠葉ってとこの近くで、オウジン天皇が宇治に攻め入るからおそらく宇治じゃない、タンバの王様のコネでオオヒコに取り入って大活躍したんだ、で、この話似た話無かった、そ、ケイタイ天皇ってタンバのお隣の福井県で生まれて、まず、楠葉で宮を造ったよね、で、古事記ではイワイって人と戦ったって書いてそれ以外はなんも書いてないんだよね。
てことは、ミマキイリヒコって人が島根の国から楠葉近辺でてっぺんに立って次の人が宇治に都を遷したイクメイリヒコってことなん、そで、この天皇のときにオオカシマってゆう中臣さんの先祖が島根の国の王様の傍で偉くなっちゃったんだってことで、この時は紀元前5年だったってゆこと。
で、キンメイ天皇のときにカマコってゆう人が現れて、モノノベさんといっしょに仏さんをオガんじゃだめよって反対してるんよ、大阪北部に一緒に入ったモノノベさんと今回も一緒、はいったところでそこの土地をツいだよって王様と一緒に叫んじゃってるもう関係ありありじゃない
で、ソガさんにモノノベさんがホロボされてナカトミさんのシンセキで後でフジワラさんになるカマタリさんがソガさんをやっつけちゃって、カマタリさんの子のフヒトさんのムスメムコのモンム天皇が、ナカトミオオシマさんの子で、ゲンメイ天皇の子のモンム天皇がフヒトさんと一緒にテンム天皇を追い出して日本のてっぺんを盗っちゃったってこと、で、ゲンメイ天皇が3種の神器ってゆう天皇のシルシをジトウ天皇からウバって正式な天皇になっちゃったから、自分ちは大昔から天皇のイエガガラだよって言っちゃったんだってこと。
めでたしめでたし、じゃないか、ゲキヤバァ、大騒ぎになるか、テッテイしてシカトされるかどっちか、あとの方にコイン1万枚ベット