2017年4月8日土曜日

最終兵器のミサ 「古田武彦」も信じていなかった

 「古田説」は「三国志」を信じると大見得をきって、距離を全部足すと総里程1万2千里にならなければならないともっともらしく書いて、フミ国を糸島半島の根本に持ってきて、東側の福岡平野を邪馬台国(邪馬壱国)として、ナ国への里程は傍線で無視し、2万戸の国を狭い糸島平野に押し込んだ。
三国志はフミ国の南と書いているのに、少なくとも東南と書かなければ合わないのにここには目をつむっている、ダブルスタンダードそのもので、しかも、その後の中国史書や日本書紀・古事記は偽書扱いだ。
ようは、中国鏡がたくさん出る糸島か早良・春日に邪馬台国を持っていきたいだけの詭弁だったわけで、自分の説に酔いしれて、その後の歴史観が崩れてしまって8世紀に九州王朝を潰してしまった。
だからと言って、邪馬台国を奈良だ筑後だという話にはならなず、途中からつじつま合わせをした「古田説」が違うだけで、三国志を信じるのは間違いではない。
つじつま合わせしないで、南にナ国と邪馬台国があるフミ国でイト国から8キロ弱東の場所、すなわち、糸島平野の東で、南に2万戸のナ国と7万戸の邪馬台国をもつ細長い場所は糸島半島・能古島・志賀島・海の中道しか無く、ナ国にもフミ国にも接したどちらの国からも玄関口だからどのルートを使っても1万2千里。
しかも、日本書紀の神功皇后が卑弥呼・台与にあてられて、香椎宮に居を構えたと書いているとおり、福岡市東区が卑弥呼の都としっかり対応している。
だれが読んでも、この結論になってしまうが、古田説の半周読法と短里説が考えに及ばず(古代史学者で三国志を原文で読んだ人物がいなくて)なのか知らないことにして自説に合わないから切り捨て、短里は現代人なら地図を見れば明らかで、距離から概算すれば福岡平野以外設定できず、しかも、邪馬台国には中国人の軍人がやってきているから、北にフミ国、西にナ国が隣接していることが解るように記述しなければ中国の読者にわかってもらえないことは当然で絶対間違えないように書いている。
そんな一目瞭然のことを見て見ぬふりをしなければならないのは、邪馬台国も奈良にいらっしゃる天皇家でなくてはならないため無視したが、すでに、九州の賊の説を言った人物が存在したが無視してしまって、なぜなら、天皇家は宮崎県から奈良にやってきて日本を統一したので、既に、九州は国譲りによって支配下でなければならなかったのだろう。
これだけ、天皇家崇拝をするなら、どうして、中国の冊封体制(中国の臣下)に組み入れられたことに満足したのか不思議でならず、中国の力でクナ国に対抗し、朝鮮半島を侵略して中国から官位をもらうことをどうして良としたのだろう、日本で一番になっても中国の家来で喜んでいるわけのわからない国粋学者たちだ。

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