2017年4月18日火曜日

最終兵器のミサ 古事記と日本書紀の欠史8代

 記紀には欠史8代という綏靖天皇から開化天皇の8代にはこれといった功績が書かれていないのでこう呼ばれるけれど、これこそが造作説を否定する証拠であるにも拘らず無視されてきた。
造作するのならこの8代にも適当に物語をつければいいのに、中国や朝鮮の資料を見ていそうだから、中国に行った話を膨らませて卑弥呼の話を神功皇后に書いたみたいに書けばいいのに書いていなくて、最初の記事は崇神天皇の紀元前94年の記事からだ。
これは、紀元前94年から干支を学んで記録することを覚えて、これ以降継続して日記のような記録を取り出したということの裏返しで、日本書紀は紀元前94年からの資料を基に書いた貴重な資料だということを理解しなきゃいけない。
記録したのは弥生時代の糸島と出雲で硯が見つかったこと、糸島で甕に文字が書かれていた土器が見つかったことが証拠で、中国の漢で年号が始まったことと無関係じゃなくて、干支が解っていても60年で繰り返すためにどこに差し込めばいいのかわからないからで、もし、日本の天皇名にあわせたのならもう文字があったから神武天皇の記録が残っているため、欠史8代ではなくなるはずだ。
そして、同じことが古事記の仁賢天皇から推古天皇の欠史10代で、書けるのなら書くはずで、継体天皇の即位の話、仏教の導入の話、聖徳太子の話や法隆寺の建立の起源などどれだけでも書くことがあって書けるはずなのだけれど、書かないでいるのは、資料が無いのに嘘八百を書き連ねることを考えもしていない証拠だ。
太安万侶が功績があるにもかかわらず書かないで元明天皇に献上したとしたら太安万侶は確実に墓碑などくびになって作ることができなかったと思われ、元明天皇も自分の家系に功績が無いことを重々承知していて、記紀は資料にないことを創作する事はなく、資料の配置をしていることがわかる。
とゆうことは、古事記は顕宗天皇までの資料に元明天皇の系図をつなぎ合わせたもので、日本書紀も同じく系図をつなぎ合わせた資料で、功績は資料の継ぎ接ぎで作り上げたもので、元明天皇の王朝の歴史ではないことが証明されている。

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