古事記と日本書紀の神話を比べると、最初に出てくる神様が全く違って、古事記は天御中主で日本書紀は国常立で、日本書紀の国常立は古事記で6番目、日本書紀に天御中主は本文に出てこないで一書の中に3番目に書かれているけれど、一番偉い神様を譲り合って後ろの方に書くはずがなくて、遠慮しないで1番目に書くのが権力を持っている人たちだ。
とゆうことは、古事記を書かせた王は天御中主を祀っている王で、日本書紀を書かせた王は国常立を祀っている王なのだけど、実際に書かせたのは元明天皇と元正天皇の親子で、しかも、元明天皇はまだピンピンしているのに祀る神が違うはずがない。
同じように、国として祀る初代の王は日本書紀は天照大神で古事記も天照大神と言ってはいるけどどちらかというと大国主の活躍にかなりの文字数を費やしてかいていて、しかも、日本書紀の優柔不断な態度に対して古事記では剣先を突き付けられて国譲りを迫られているように、大国主を重視している。
古事記と日本書紀は似ているようで全く違う趣を持っている史書を同じ王朝が書いている摩訶不思議なかたちをていしているけれども、この意味は、本来違う王朝が書いた史書を自分たちの史書にしようとしていることを意味していて、自王朝に史書があればこんな状態は起こらない。
国を産んだ神、初めて国を開いた人物の前にもし人がいるとしたら出国前の土地の両親がいる程度で何人もいることなど有るはずがなく、記紀は伊弉諾・伊弉冉の神話にいくつかの支配者が神話を積み重ねたとゆうことだ。
日本書紀を書いた王朝は一書で天御中主が3番目に出てくることから古事記を書いた王朝を後から2つの王朝が入れ替わっていることを意味していて、古事記を書いた王朝は日本書紀を書いた王朝の後に6王朝入れ替わった、とゆうことは、日本書紀の王朝は支配権を取り戻したということをしめしている。
それで、最初に国産みする島が日本書紀が馭慮嶋次が淡路洲そして大日本豐秋津洲だけど、古事記は淤能碁呂島次淡島そして淡道之穂之狭別島で後ろの方に大倭豊秋津島と記述しているけれど、これも神々と同じ意味を持っていて古事記を書いた王朝は秋津を基盤とした王朝を後ろにしてしまって、日本書紀の王朝は3番目だけど淡島を子に入れていないので実質1番目だ。
すなわち、日本書紀を書いた王朝は天御中主を祀る秋津をを地盤とする国から奪ったと書いているようで、もちろんその王朝は馭慮嶋で建国した国常立を祀り初代の王は天照大神で、日本書紀を国史に採用したのだから元明天皇の前の王朝は日本書紀を書いた王朝で、そのまま元明天皇が採用したと考えるのが妥当だ。
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