天八下は野洲に分祀され、天三降は三国に分祀された神と思われる。そして、三(国)と八(国)を「あわせて」合祀した天合、淡海道で祀られた神だろう。合と似た発音の愛を使った宿場に愛知(エチ)川宿があり、愛知川が有る。八百日は八国の兵士たちであり、「お」は尾、後ろに付いてくる兵士を意味するのだろう。八十萬魂は十人の八国将軍を意味すると思われる。魂は玉や王を意味し、萬神、つまり野洲の神十柱が寄り合い、その王の王が高御産巣日なのだろう。滋賀県には老上という地名があり、萬は寄る津、つまり軍港に集まる神を意味するのだろう。
八十は八十梟帥、例えば磯城八十梟帥や赤銅八十梟帥などがいる。これは、大将がたくさんいるのではなく、八十梟帥という将軍の官位を意味する八国の大将で、十の軍隊があったのだろう。八岐大蛇は八の頭、将軍に率いられたのだから、国は2軍で守ったのだろう。
高御産巣日は宗像の日国神の分祀と高島の神を合祀した神で、その神子の思金が仕切った。高御産巣日の祖の産巣日の神々は、対馬昼ヶ浦の洲の日神が速日別の宗像に分祀された。宗像から同時に、和久産巣日が若狭に、神産巣日が敦賀に、高御産巣日が高島に分祀されたと考えられる。
神産巣日の御祖は、大氣都比賣が持参した種を栽培した神だ。この神産巣日の御祖が和久産巣日であり、後に記述されたと考える。神産巣日が三国、高御産巣日が高島の神に合祀されたと考えられ、元々住んでいた国神がいたから地名が付加できる。神の名は地名が先で、逆ではない。
現代でも、若国である若狭と三国の敦賀を二州と呼ぶそうだ。二州は、二国・二岐(饒)を意味し、これは偶然なのか。木製の戸しか無いのに木戸と昔から呼ばれた。木根を祀る入口だから木戸だろう。言葉や神の歴史は人が集団生活を始めた時が最初、地名説話はこじつけで、地名は人が住むときが始まりで元々有った地名で、それを持ち運んだ。
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