木葉比等は木神、鬼道ではなく木道、木国の神を祀る人と考えられた。『古事記』の記述者は、木神を「久久能智」と理解し、その後に山の神、次に野の神が生まれたとしている。しかし、本来は水を生む山の神が最初で次が河、その次に野の神、最後に木の神の順序であったと考えられる。
そのため、『古事記』では、木神ではなく、山と野の神が八神を生み、古い形の神名として名も「津神の土」の狹土、「流木の神の霧」の狹霧、「門の神の戸」の闇戸、「戸の女」の大戸惑女、「戸の子」の大戸惑子が生まれた。そして、後に「鹿屋野比賣」「久久能智」という名前が追加されたが、これらはおそらく河神の「カミ」を祀る津にある野と山神の「ヤマ」を意味しているのだろう。
追加された神々である鹿屋野比賣と久久能智は、どちらも九州の神だ。昼ヶ浦の日女を祀る人々が、野洲(ヤス)ではなく野(ノ)の国の野智(ノチ)を日女と考え、野の国の人々が野比賣を祀ったことを示す。海の神である津見の日女を祀った港神の津日子が天降り、その到着地の津に定住した神が津日女で、その場所は風神の志那都比古の国であり、志賀島の国の那珂川の津で日女を祀る日子の国と記述している。ここは、加須屋の大神祇の出身地でもある。
九州は帝俊の子である義均が定め、その支配地を「奴(nú)」、つまり日本語で「それ」の「襲」と呼んだ。「奴(nú)」も日本語の「主」の「ヌ」かも知れず、倭奴国は「その倭種の国」の久魔(熊)国の九州を意味するのだろう。鹿屋は「鹿文」で「熊襲之渠帥」とあり、熊襲王を意味する。熊襲国王である熊襲姫が鹿屋野比賣である。
また、久久能智の「久」も中国語では“jiǔ”と読み、九州は中国語で“jiǔzhōu”と言う。九州には久住川があり、中国語読みで“jiǔ zhù”川となる。狗奴国王は狗古智卑狗であり、これは偶然とは思えない。『三国志』には「鬼奴国」があり、木(神)之鬼奴智を久久能智に当てた可能性がある。現代の中国語と周や漢の中国語と発音は異なるかもしれないが、久住と九州が似た発音であることは変わらないだろう。
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