帝俊の子の禺號(Yú hào)と具火(jù huǒ)は音が似ている。迦具土とも考えられる禺號の孫の番禺は、「是始為舟」とあり、初めて舟を造った。帝俊は舟に乗っているから舟を造る国を支配下にしたという意味だ。日本語の最初の国は、河が二股に分かれる事を意味する州、河口だったのだろう。帝俊が生んだ三身国の中洲はピッタリだ。そこに建てた神木を祀り、船戸(船の門)、港の神(河神)が木根(宮柱)を祀る王だったため、船戸神に岐神と文字を充てた。木根は幹と考えられ舟の原料で、河の淵に舟を浮かべたのでフネと呼ばれたのだろう。日本人は於岐の奈、対馬から来た神が於の奈美、その場所に祀られた神(木)の宮柱を於の奈岐と呼んだ。聖人や倭人は天(海内)に住み、中国語も理解する。そして、日本語を話す六合の人々が混在していたから「ホ」と読む火の文字が生まれた。州も岐も意味は川に挟まれて出来た肥沃な場所である。
国は最初、港(船戸)の周辺の小さな地域だったが、時間が経つにつれて、河川の岸や洲、そして島が国と見なされるようになった。中国の言葉で言うところの「岐(qi)」という言葉も、日本人は中州や島と同じように理解した。そのため、六合にある島々は「伎(き)」と呼ばれた。対馬も同様で、対馬の神である月讀は津島のヨ神と呼ばれた。おそらく、済州島の常世から来て、夜の対馬を守護する存在として「夜神(ヨミ)」と呼ばれるようになった。そして、聖人たちは中国語も理解していた。三身國を生んだのは聖人の帝俊と霊と思われる彼の妻、娥皇である。娥は漢音で「が」と読み、日本の神は河の神を指す「かみ」といい、河は漢音読みで「が」となる。現代の中国人は娥を「é」、河を「hé」と発音し、これは日本語の「江」とよく似ている。
日本のペア神話は、女子國の二人の女王から生まれたものだろう。天と呼ばれる黄海・渤海・シナ海の国と、西の縄文文化の聖人と、東の縄文文化の八岐の於漏知が存在した。それらを繋ぐ中間地点が六合で、中心となる国は女子国だったのだろう。そこでは舟が行き交い、龍や蛇が舟の象徴とされ、舟に乗った人々は聖人と呼ばれた。聖人たちは中国語と日本語の両方を話すことができただろう。番禺が居る聖人の土地には舟作成に必要な丸のみ石斧が有った。
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