『舊事本紀』によると、饒速日が天から降ってくるときに渡された「天璽瑞宝」が10種類あった。それは、贏都鏡、邊都鏡、八握劔、生玉、死反玉、足玉、道反玉、蛇此禮、蜂此禮、品物此禮だ。これらは、隠岐の贏津鏡、胸形の邊津鏡、野洲の剣、活玉依姫のいた三方の玉など、各地の国々の王の璽だったと考えられる。足玉は統治の象徴である帯玉、蛇は将軍を意味し、此禮は旗印、蜂は兵士、品物は兵站を意味する印だったのだろう。
饒速日の母は栲幡千千姫であり、隠岐の三つ子の島にある焼火山の姫、大人様を祀る姫だったと考えられる。大人様は宇都須山祇の子であり、宇都須山祇は大海祇から分祀された神だ。また、高皇産霊も名前から考えて、宗像の産霊神が高島に分祀された神のようだ。饒速日は天津神の対馬の神の美豆別之主の王朝の子と考えられ、美豆別は久米部・綾部・工部・玉造部の民を率いて大人様の後を継いだ。饒速日の「天璽瑞宝」は率いた氏族の王の璽なのだろう。
勝速日天之忍穂耳は狭霧から生まれた饒速日の祖神が祀られる対馬から来た速日別の子孫であると考えられる。物部氏の祖である饒速日の祖神は、天祖天譲日天狭霧国禅月国狭霧尊と考えられる。『舊事本紀』が物部氏の歴史書であり、最初に登場する神であることから当然のことだ。この神は伊弉諾・伊弉冉が瑞穂の地を治めるよう詔勅した。天祖天譲日天狭霧は、天神の流れを汲む神で、その天神日神を祀る昼ヶ浦を譲り受けた。そして、月国を継承して合祀した月国の対馬の狭霧である。
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