神直毘と大直毘は「禍を直す」という意味で、「なほび」と訓読されているが、他の例では「直」の使われ方が異なる。例えば、「詔雖直猶其悪態不止」、「朝日之直刺國」、「從徒手直取」、「天皇置直幸女鳥」、「日下之直越道幸行」、「故巳直参上」の文が、使われている全てである。しかし、直接命令したのであり命令を変えていない、朝日は直接刺さっているのであって、刺さらないようにしていない、徒手で直接取っているのであって、手を治療していない。また、直接言っているのであって、何も直していない、直接越えて行っただけ、直接参上しただけである。
これらの例では、「直」は「直接」という意味で使われており、矛盾が生じている。したがって、「直」は「直接(ジカ)」の意味であり、禍を「ただした」と読むべきである。つまり、「ただび」と読むのが正しいだろう。
「朝日之直刺國」の神が大直毘であり、神直毘は分祀されて直刺國に来たペアの神だろう。小浜には多田があり、若狭彦と若狭姫の神社がある。ここは狭州国で、天若日子が来た場所だ。天若日子の妃は下照比賣で、後に稚國玉や若国王と呼ばれている。小浜は「出雲國之多藝志之小濱」と記述され、「底津石根宮柱」として朝廷が開かれた場所である。
美豆別之主は饒速日と考えられた。彼は天津神の神子であり、大海祇の神子とも考えられる。美豆別之主は小之凝呂島を奈岐命から譲り受け、奈岐浦命と呼ばれた。奈岐浦命は海部首であり、さらに安曇首とも呼ばれた。つまり、彼は王ではなく、美豆臣安曇首だった。美豆臣は速日別や加須屋の大神祇との関連をうかがわせる。
饒速日の後裔には出石心がいて、父の彦湯支の妃が久流久美の娘だった。丹波の久美浜町には出角があり、伊豆志彌神社がある。伊豆志彌は伊豆邑神の意味で、直毘と同時に伊豆能賣を生んでいる。
その後、三柱の綿津見を生み、安曇連の祖神として筑紫斯香宮で祀られている。なお、安曇連は仁徳天皇の時代に賜姓され、日臣と共に大和に入ったようだ。箇之男の「墨江之三前大神」も宇佐の住江を指すのだろうか。
0 件のコメント:
コメントを投稿