『日本書紀』の伊弉諾・伊弉冊は国生し、その後、海川山木祖草祖、さらに、日神、月神、蛭兒、素戔鳴の貴子を生んだ。そして、「號大日孁貴」と『日本書紀』は記述時に日神の名を変えた。ところが、『古事記』は伊邪那美の死後に伊邪那岐が貴子を生んでいる。天照大御神、月讀、建速須佐之男と名前も異なる。『舊事本紀』は『古事記』に類似している。しかし、三貴子は『日本書紀』と同じく木祖や草祖の後、伊弉諾・伊弉冊を2説を記述するが、最初、生きて生んでいる。しかも、名前も『古事記』ではなく、『日本書紀』の名前である。そして、『古事記』も木祖と草祖は伊邪那美の生前に貴子の前に生んでいる。すなわち、『古事記』の貴子は伊邪那岐・伊邪那美ではない、別神が生み、生んだ神は伊邪那岐の後代の神の子達と考えるべきであろう。
すなわち、『古事記』には高御産巣日を祖神とする伊邪那岐・伊邪那美が征服した伊邪那岐・伊邪那美がいた。すなわち、伊邪那岐を祖神の高木神とする神が存在して、伊邪那岐・伊邪那美以外のペア神が天照大御神を生んだと考えるべきだろう。そして、『舊事本紀』の貴子が生まれて以降の生まれた神は、物部氏や大連となった氏族の神だと主張しているのだろう。大臣の祀る神は、天照大御神ただ一柱なのだから、それ以降は不要である。しかし、大連の大神は尾張氏、葛木氏、大伴氏、物部氏の祀る神が存在し、『舊事本紀』の作成者の馬子の祀る神が天照大御神である。
『古事記』は葛木氏が書いた史書なので、天照大御神を伊邪那岐が生んでもらわなくては困る。しかし、『舊事本紀』の伊弉諾・伊弉冉が大日孁貴を生んだと述べている。これは、『日本書紀』も『舊事本紀』と同じで、大伴氏と物部氏に共通する大連が祀る神であったためだろう。そして、現代、天照大御神を祀るのは大倭根子と大臣の末裔の国だからである。
そして、貴子の王生み説話に月讀が記述されないのは奇妙である。消された月神と蛭子の2貴子の説話があったのだろう。生まれる子も、胸形の姫は3柱、伊邪那岐が筑紫で生む神も3柱のグループである。すなわち、三身国の神話だったことを想像させる。実際は、伊邪那岐と伊邪那美ではなく、伊邪那美が葬られた国の神の比婆と比古爺が天照大神を生み、比婆を伊邪那美、比(古)爺を伊邪那岐に充てた。
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