2024年6月12日水曜日

最終兵器の目  新しい古代の神話 伊耶那伎の貴子たち3

神功皇后は敦賀で伊奢沙和氣大神と御食津大神の名を交換した。つまり、気比神社がある敦賀には「伊奢」があったということだ。奈神の分祀である伊奢の奈神は伊邪那美であり、国神は伊耶那伎だ。さらに、近江への分祀が沫の奈神である沫那美、国神が沫那藝である。大津、すなわち宇都須山祇がいた場所には粟津がある。大人様の父の宇都須山祇は、大人国の王家の比賣が妃なのだろう。

淡海の多賀の伊邪那伎大神は大国の神で、本来は気比の伊奢大神だ。男女は逆で、国神の伊奢伎大神は女神であり、だからこそ伊邪那美が死んでも子を生んだのだ。土地の血筋を守るのは女神である。

那美と伊奢大神が合祀されて伊奢那美大神となり、若狭に分祀されて伊奢沙和氣大神となる。同じように、粟津、つまり粟国・淡国の大宜都比賣は三国神と習合して御食津大神となった。神国三国の敦賀には気比神社や御井宮、あるいは皇大神宮が井川の近辺にあり、これは偶然であろうか。

沫那美と沫那藝は速秋津日子と速秋津比賣の子と記述されている。しかし、加須屋の大神祇と野洲の神の山椎(ツチ)の子が、大津の粟津の宇都須山祇である沫那美、その沫那美と宇都須山椎の沫那藝の子が大人様なのではないかと考えられる。

沫那美と沫那藝を粟国の神としたため、金毘羅様の出身地である安芸の神を親にしたのではないだろうか。「アキ」は「私の(木)神・吾の故郷・我がお国」の意味なので、秋田など日本中にある。豐秋は豊国の王の国、朝廷の「アキ」は岐神がいる三国が「吾岐」、大漢国王だった蘇我大臣が「アキ」と言えば、広島の安芸である。

その為、雄略天皇は小野を自分の国として蜻蛉野に名前を変えた。それまで、唯の吾岐は恐らく女国がある近江か三国だったのだろう。葛木氏の神武東征は大伴氏と共に、関門海峡から安芸、吉備、明石海峡を避けて阿波から河内に侵入した。

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