2023年3月31日金曜日

最終兵器の目  新『日本書紀』 神話9

  『日本書紀』の火明は『舊事本紀』・『古事記』の火明と時代が異なる。『舊事本紀』の火明は天稚彦が神屋楯比賣の子の事代主を殺害した時の人物で物部氏である。 『日本書紀』の火明は、劔根の娘賀奈良知姫の子の「羸津世襲命亦云葛󠄀木彦命尾張連等祖」と物部氏の祖ではない。ただし、羸津世襲は高倉下の孫の天忍男の子で、『舊事本紀』の火明の家系だ。すなわち、『日本書紀 』の火明は劔根で、神武東征は『日本書紀』の火明が起こした。御毛沼の神武東征は大物主の娘、大田田祢古の妹を妃にするのだから、崇神朝以降である。『日本書紀』の火明は豊国の人物で、由布岳や鶴見岳がある地域が支配地と思われる。『舊事本紀』の火明は穂国の「ほ」なのだろう。鶴見の名の起源がいつからか解らないが、つる(?)神と考えると、別府湾は弦を張ったような湾だ。言わば弦湾の弦国()の王が剱で、根国の葛󠄀木の王になった剱根である。

 『日本書紀』の火明が剱根だったが、『古事記』では、三男の穂々手見が後継者で、剱根とは異なる。元々国譲り自体が、忍穂耳ではなく、大年神だった。すなわち、忍穂耳、瓊々杵、穂々手見、鸕鷀草葺不合は葛󠄀木氏の系図だったようだ。 忍穂耳は豐の安芸の水穂国を目指した、耳という三国の神だ。『古事記』の始祖神は御中主で、主の官位を持つ後代の人物である。最初の国生みは淡島だったが、生みなおして淡路島である。本来は淡島・淡海国だったのを、生みなおした。淡道之穗之狹別で、すなわち、穂の国の分国で若狭の領土の意味なのだろう。葛木氏は国譲りで若狭と野洲を結ぶ道を支配したことを意味している。

 そして、穂々手見の子の彦波瀲武鸕鷀草葺不合は母の妹玉依姫を妃にした。この姫は大国御魂ではなく、宇迦之御魂神の娘と思われる。武鸕鷀草は八国の宇治川の将軍で、伊吹・美濃の相津方面の将軍の名に感じる。そして、その子の御毛沼の孫は師木に遷った。そこには、剱根がいた。すなわち、火明・珍彦達の東征で、葛󠄀木氏は大津を追われて、師木にやって来たようだ。すなわち、天忍人の妃の角屋姫は宇治川の津、大津の八国の姫だった。そして、天忍人は葛木氏の出石姫を妃にして、師木に遷り、弟の忍男は剱根の娘の賀奈良知姫を妃にした。天忍男の子は羸津世襲、葛󠄀木彦で尾張連の祖だ。

 葛木彦の祖父の『日本書紀』の火明・剱根の東進が神武東征だ。剱根は別府の王と思われ、九州の暦は知っていたかもしれないが畿内の暦は知らない。2つの暦を知っていた、周饒国の人物、大年神が生んだ、大国御魂神は豊国神と考えられた。『日本書紀』の一書第一に「海神豐玉彦之宮」の娘が豐玉姫と記述される。この王は配下に高速船、大鰐を操る部下がいた。この王なら、両方の暦を知っていて、東征する人物としてピッタリである。大鰐を操る部下は珍彦で、おそらく、豐玉彦の子と考えられる。同じく一書第一に「伊弉諾尊曰吾欲生御宇之珍子」と宇治の津、大津の神を白銅鏡で生むと記述される。かなり後代の神話である。そんな後代の神話の後に、葛󠄀木氏を追い出した人物、宇迦之御魂神の兄弟の大年神の末裔が珍彦である。すなわち、神武東征、暦を持つ珍彦の東征が始まった。


0 件のコメント:

コメントを投稿