2023年3月27日月曜日

最終兵器の目  新『日本書紀』 神話7

  日本の神は天照大神と大神を祀っている。神武天皇は事代主の娘を妃にして、王朝が始まった。事代主を検証すると、事代は磐余にある社と結論付けられた。すなわち、本来は天稚彦が大国主ではなく、神屋楯比賣の子から国譲りされて、若狭の王になった。そして、邊都宮髙降姫が照光姫大神と呼ぶように、多紀理毘賣の子の下光比賣も大神と呼ばれたと思われる。それは、下光比賣の兄弟の阿遅鍬高彦根、その阿遅鍬高彦根の子が奈賀命だったからだ。奈賀命と丹波の須津姫との子達が大国主・大人国王である。その大国の神だから大神である。

 天稚彦達が国譲りで戦った相手とされる事代主は場所も違い、もっと後代、神武天皇の頃である。実際の、神屋楯比賣の子は恐らく建御名方である。『古事記』には母が記述されず、『舊事本紀』には髙志沼河姫とある。事代主は邊都宮髙降姫の子で、事代主は「倭國髙市郡髙市社」に祀られ、事代は磐余近辺で地域が異なる。

 八岐の於漏知が強力な剱を持っていた、その八国王が八千矛なら矛盾しない。隠岐が八国に支配されたころの王が宇都須山祇である。その頃の宇都志國玉が八国の於漏知の八上比賣を妃に木俣神を生んでいる。八国の木の俣の於漏知、八俣の於漏知だ。於漏知を追い出した周饒国王の奈賀の大人様・奈岐命は山津見の娘の市比賣を妃に大年神と宇迦之御魂神を生んだ。阿遅鍬高彦根の子の大人様の奈賀の命は丹波の須津姫を妃にして、大国の誕生である。そして、佐の男の阿遅鍬高彦根は「坐倭國葛󠄀上郡髙鴨神云捨篠社」と葛󠄀木に祀られる。またの名が「迦毛大御」髙鴨神で根国葛󠄀木神だ。

 於漏知達の王は須賀の稻田宮主の名椎と思われる。八束水臣津野命の子孫の戔嗚がその娘の櫛名田比賣を妃にした。その子が八島士奴美で君子国王と考えられる。島は「し」が国で「ま」は八国の神の魔物の神と考えられ、「しぬみ」は「しま」が後代に「ま」神が「み」神に変化したのではないか。八嶋士奴美は出雲の山津見の娘の木花知流比賣を妃に出雲を征服した。子は布波能母遅久奴須奴神で、淤迦美、隠岐の国神の娘を妃にして隠岐を支配した。子の深淵之水夜禮花は 美豆別之主や八束水臣と同じ水で、子の淤美豆奴も同系だ。子は天津神の天之冬衣で、若狭の刺国の若比賣を妃に、これは若比賣と対の稚彦の娘で須津姫と思われ、大国主を生んだ。阿遅鍬高彦根の子の奈賀の命と若比賣は従兄妹、奈賀の命の妃は丹波の須津姫だ。

 大国主は葛木氏の先祖の八島牟遲の娘を妃に鳥鳴海を生む。葛木氏は君子国・周饒国・丈夫国の血を引く氏族の様だ。甕主日子は御毛沼と関連が有りそうで、建飯勝の子が建甕尻で、同時代なのだろうか。そして、天日腹大科度美の妃は天狭霧、物部氏と尾張氏の祖神と思われる。その、天狹霧の娘の遠津待根を妃に遠津山岬多良斯を生む。遠津氏は豊木入日子の母系で、息長氏と証明した。山は息長氏の領地の伊吹山の麓、多良斯は統治する帯・足と考えられる。崇神天皇の時代である。葛木氏の神話は崇神天皇の時代まで続いたことを示す。大物主の娘を妃にするのだから、よく当てはまる。事代主は東征で磐余に住み着いた剱根の義父の神話である。

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