2023年3月20日月曜日

最終兵器の目  新『日本書紀』 神話4

  三身国を生んだ帝俊は『大荒西經』、タリム盆地のロプノール湖が有った地域でも活躍し 、白民之国を生んだ。白民之国はウスリー川河口部と思われる場所にも生み、太平洋東岸にも生んだ。同様に、『大荒西經』には、「女子之國」や「丈夫之國」もある。そして、大本の「女子國」・「丈夫國」は『海外西經』にあり、宗像や対馬の国と思われる。この地域は六合と呼ばれる地域で、聖人が行き交い、神霊が生れる場所で、黄帝も神霊を生む。すなわち、黄帝も帝俊も神や聖人で、タリム盆地や沿海州、太平洋岸まで動き回った。そして、日本人は聖人を「ひじり」、肥後の人と呼んだ。黄帝も帝俊も肥後を拠点に活躍し、帝俊は玄界灘と太平洋とシナ海に面する三身国を生んだ。その女王が『大荒南經』の「娥皇」で太平洋側、すなわち、葉木国の女王のようである。そして、その中心国が丈夫国である。

 女子国は「兩女子居水周之」と二人の女王がいて、島と思われる国である。本来、「王が二人」は有り得ず、どちらかが従だが、並立と表現している。これは、二つの島からなる国で、元々双方に王がいたのが、一つの国になったと考えられる。日本では、『隋書』の俀国の夜の天子と昼の太子のように、宗教的王と政治的王の分業があった。『日本書紀』は三貴神を記述し、「夜之食國」と夜の神の月読、「知高天原」と昼の神の天照、「知海原」と水軍の指揮の素戔嗚と分業した。対馬は地峡のため、2地域の生活圏に分断され、王が二人いたと思われ、よく対応している。そして、恐らく、海神の夜神(よみ)、土地の神の昼女(ひるめ)、昼神の子の昼子(ひるこ)が古形と思われる。

 そして、有明海、玄界灘、豊後水道にまたがると思われる三身国が帝俊と娥皇によって生れた。その中心国が丈夫国で、三身国の北に一臂国、その北に奇肱之国、その北に女祭がある。女祭は「居兩水閒」と半島に有り、海の中道・志賀島を考えた。糸島半島や松浦半島では広すぎて、複数の国が有りそうである。その北に維鳥、その北に丈夫国である。その北に女丑の屍、中津宮のある大島か?。その北の西側に巫咸国の壱岐、東側に「并封」の沖津宮のある沖ノ島。巫咸国の北に「兩女子」と二人の女王がいる女子国・対馬である。

 そして、『海外南經』西隅に結匈国が有り、『海外西經』は「西南隅」が結匈国の北で、佐賀県が境界のようだ。長崎県は『海内經』で、倭人が住む場所と考えられ、佐賀県に帝俊たち聖人が生れた。娥皇は葉木国の港の国神の野槌の後裔の草野姫と考えられ、草野姫は日国・三身国の女王・日女でピッタリだ。そして、三身国に周饒国の交易の中継所が糟屋に出来た。そして、三身国の力で八束水臣津野命が「三身之綱打挂而」と国を拡げた。そして、戔嗚は丈夫国の加須屋の大海祇の姫を妃に奈賀の大人様・奈岐の命を生んだ。大海祇は奈岐の命に力を貸して、出雲の於漏知を追い出した。奈岐の命は大海祇の配下となった大山祇の姫を妃にして、東侵して、若狭まで於漏知を排除したようだ。

 奈岐の命の妃、大山祇の姫は神大市比賣で大年神と宇迦之御魂神を生んだ。大年神は伊怒比賣を妃に大國御魂神、韓神、白日神、聖神を生んだ。糟屋に伊野皇大神宮があり、そこの姫と思われる。大國御魂神は豊国の神と考えられ、出雲・安芸・周防・穴門・豊前・豊後・筑前を含む領域と考えられる。そして、紀元前千年頃に倭が五島列島や長崎あたりから糟屋に侵入したようだ。そして、西暦百年頃までこの体制が続いたようだが、倭が中国の協力で領域拡張をはじめた。伊都国は弱体化して、諸縣君が日向に移住したと考えられる。火闌降や火火出見など、火山を連想させる人物は、鶴見岳や由布岳の説話が相応しく、豊国の説話と思われる。


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