神話は一書群が多数あるように、氏族ごとに存在する。氏族は血縁のある氏族の神話を繋ぎ合わせ、前後関係に矛盾を生じた。そのため、崇神期の大物主を神武期の事代主と同じ人物にしてしまった。しかし、『史記』『五帝本紀帝堯』に「乃命羲和敬順昊天數法日月星辰敬授民時分命羲仲居郁夷曰暘谷敬道日出」と記述された。帝堯は紀元前2千3百年頃の人物。ここに記述する羲和が『山海經』に「東海之外甘水之閒有羲和之國有女子名曰羲和」と記述される。すなわち、禹の紀元前2千年位まで記述された内容が日本の神話の絶対年代を決定づけた。
『史記』には「黃帝者少典之子姓公孫名曰軒轅生而神靈」と、黃帝は生れて神靈になったと記述された。少典が神霊を生んだのだ。『三海經・海外南經』には「地之所載六合之閒四海之内・・・神靈所生・・・唯聖人能通其道」とある。すなわち、少典も六合の住人だ。黃帝も『大荒東經』に「黃帝生禺禺䝞・・・禺䝞處東海是為海神」と東海・黄海の海神を生んでいる。すなわち、『史記』も『山海經』も同じ立場の文献だと解る。
『山海經』で「天」と呼ばれる場所が特定でき、『海内經』の海と『西山經』の水が湧き出る所が「天」と呼ばれている。『西山經』には「玉山是西王母所居也」と、玉山に神の西王母がいる。そして、西王母が『海内西經』に「龜山西王母梯几而戴勝」と勝利を祝っている。そして、『海外南經』に「有神人二八連臂為帝・・・狄山帝堯葬于陽帝嚳葬于陰」と生れた神が帝になった。その中に堯・嚳が含まれる。さらに、『大荒南經』に堯・嚳・舜、『海内南經』に舜・丹朱、・『海外北經』に顓頊、『海内經』に舜が葬られた。これらの帝が東方父と考えられる。
すなわち、天に生れた神たちの子が天子で、天子も神である。そして、『海内南經』に「三天子鄣山在閩西海北」、『海内經』に「南海之内有衡山有菌山有桂山有山名三天子之都」と記述される。すなわち、神の子の天子たちが東シナ海の中で都し、中国では天子が全知全能の神だった。
それに対して、日本では、「天」のことを「う」と呼び、「神靈所生」と「う」で生まれたのがう神の「うみ」である。それで、日本の天子は「神子・みこ・あまみこ・ひこ・ねこ」の神靈であり、実際に統治する王は孫である。そのため、日本では、天イコール海なので、天を海の表意文字に使っている。
『山海經』の日本は海内と海外と大荒の海に囲まれる。海内は黄海(東海)、渤海(北海)、シナ海(南海)、月支国近辺の古代に有った巨大な湖(西海)だった。海外は日本海、東南北の大荒は太平洋、大荒西は中国北西の凍土がある地域である。『海外南經』にある「六合」は、6海が集まり、2海は日本列島が有るので「四海」の中にある。「六合」は神霊が生れる、日本の神話の舞台ということを中国は知っていた。
そして、『海外南經』「周饒國在・・・冠帶」と10余国の中に周饒国があって、その中心国である。そのような国が、『海外西經』「丈夫國在・・・人衣冠帶劍」、『海外東經』と『大荒東經』に「君子國在・・・衣冠帶劍」と併せて3国ある。一国、氏族だけ支配は誰もが知る長老なので、冠帶という権威付けは不要だ。しかし、3国は他の国を支配する爲に冠帶という権威が必要だったと思われる。中でも君子国は『続日本紀』にも唐の使者が日本はその後裔と言ったと記述される。『後漢書』にも、「東方曰夷夷者・・・有君子不死之國焉」と後漢の時代にもあった。すなわち、この3国の神話が中心となって、関連付けて伝えられ、書き継がれたと考えられる。そして、それらは漢代まで存在した。
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