2018年10月31日水曜日

最終兵器の聖典 筑紫倭国1

 古代史を神武天皇という神話・伝説の人物まで検証し、以降の歴史を記述する元となる史書の成り立ちを検証したが、日本列島中枢を中心にした中国からも尊敬された大人国や君子国、これらを破った隠岐の島の氏族の歴史に対して、3史(『日本書紀』は崇峻天皇まで)を書いた物部・葛城氏の出発地域の天の倭の歴史を検証しなければならないだろう。
史書の研究で『隋書』の俀国は訪隋した「蘇因高」の記事が「築紫語在別記」と筑紫の書からの引用で俀国=筑紫と論証し、俀国は『隋書』「安帝時又遣使朝貢謂之俀奴国」と『後漢書』「安帝永初元年,倭國王帥升等獻生口百六十人,願請見」の国の後裔として倭奴国と呼ばれた国と記述した。
その、倭の初出は『山海經 海内東經』「蓋國在鉅燕南,倭北。倭屬燕。」で海内東經は黄海東岸の話で蓋国は今の蓋州市近辺でその南とあるのだから朝鮮半島西部及びその南部としている。
そして、『遼史』「渤海改爲蓋州,又改辰州,以辰韓得名」と蓋国以南は辰州、蓋国が蓋州なら辰州は辰国の意味で『後漢書』「韓有三種 地合方四千餘里,東西以海為限,皆古之辰國也。」に繋がり蓋国の南が辰国そして『三國遺事/卷第一』「後漢建安中以馬韓南荒地為帶方郡。倭韓遂屬」と一部が三韓となり、『後漢書』辰韓伝「弁辰與辰韓雜居,城郭衣服皆同,語言風俗有異。其人形皆長大,美发,衣服洁清。而刑法严峻。其國近倭,故颇有文身者」と倭の風習に近いと述べ、「馬韓・・・諸國邑各以一人主祭天神,號為天君」と天神を祀ってその神主が天君と呼ばれる。
極東の日本で「あまがみ」を天神と書き「あまがみ」の支配地域を「あまぎみ」と呼びその神主は神を代弁する王とする『後漢書』「鬼神道」とよび、日本では天神・天君と漢字化し、漢字に対しては極東は共通文化圏であることから韓地でも同じ対象を漢字として表記したと考えるべきだろう。
遼東半島の地域が蓋国と言われ、辰国が領有する以前に天神を祀る天君が治める倭人がいて、船をもつ倭人が韓地には轟B型縄文土器を持ち込み使われて西九州と同じ文化圏で倭は燕に属していた。
後の新羅となる辰韓は辰国と同盟し、倭と共同して新羅と戦う馬韓と『後漢書』「國出鐵、濊、倭、馬韓並從巿之」と倭人がいて「其國近倭」と風俗も倭に近い弁辰さらに南には倭国「北岸狗邪韓國」があった。
このように、倭語が朝鮮半島と九州西部に話されていた状況とその後日本各地に拡がり、朝鮮半島から追いやられた歴史そのもので、朝鮮語の日本語との近さと日本語の日本列島の局在が良く重なる。
そして『論衡』「成王時 越裳獻雉 倭人貢鬯 」、『漢書』「樂浪海中有倭人 分爲百餘國 以歳時來獻見云」と漢以前はまだ倭と言い国と認めていないが、倭が海中と黄海に面していると記述し、そのため、越と一緒にに周を訪れている。
『 山海經』に九州を三身の国と記述しているが、『古事記』では「筑紫国謂白日別、豊国謂豊日別、肥国謂建日向日豊久士比泥別 熊曽国謂建日別」と4国としているが熊曽は日向国ができるまで敵国で、筑紫・豊・肥の三国が葛城王朝以前の領域で、残った熊襲が三身の国以外の倭の地域となり、轟式縄文土器の分布と重なる。
そして、『 山海經』は海中も中国大陸の黄海・東シナ海沿岸を海内と呼び、日本海沿岸を海外と呼び、海内の対岸が海中で、中国遠方を大荒と呼び、海に潜ることを水中と記述している。
すなわち、倭人は轟式縄文土器の前身が出土する南九州で漁業を生業としていた人々がアカホヤ噴火で五島列島や壱岐・対馬・隠岐・朝鮮半島などに拡がり得意な船を操り、海流を知り尽くして、南は会稽・沖縄から北は北海道、西は南アメリカに同系の土器が出土し交易をおこなった人々の起源のようだ。

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