2026年5月20日水曜日

最終兵器の目 新しい真実の古代 「三国志」は間違い?では、なぜ使う?2

  前項の続き。

 しかし、一方で、日本側の史書。『日本書紀』はこう語る。

「卑弥呼が女王になったのは、仲哀天皇の御代」

「その決定は、橿日宮で行われた」

つまり、日本の記録は、「卑弥呼は仲哀天皇の許しのもと、女王になった」、そう語っている。「邪馬台国は橿日宮だった」と。「卑弥呼は神功皇后だった」とも。そして、それは『後漢書』の記述とも見事に重なっていた。

桓帝・霊帝の後、189年以降。「大倭王は、邪馬台国に居た」と書かれたその文と、仲哀天皇の時代が、静かに重なっていた。『日本書紀』を編んだ人々は、中国の史書を、たしかに〝信じていた″。だからこそ、自らの記録とそれをつなげようとした。現代よりもずっと時代が近い彼らが、『三国志』も『後漢書』も、真剣に読み、邪馬台国を橿日宮と定めた。

であったら、もし、私たちも『三国志』を使うなら、「彼らがなぜ使ったのか。」、「どう信じたのか。」その姿勢を問わなければならない。『日本書紀』編者は距離も方角も日数も、まるごと使えば橿日宮に着くと考えた。それなのに、私たちは都合のよい部分だけを拾って、違うところは「間違い」と切り捨てる。それは、誠実な読者と呼べるだろうか。

逆に、史料を使わないならば、いっそ潔く手放すべきだ。考古学だけで語りつくす覚悟が要る。そうでなければ、議論はただのご都合主義にすぎない。であるから、問うべきは、「『三国志』は本当か? 嘘か?」ではない。ほんとうに問うべきは、「私たちは史書全体に どんな姿勢で向き合っているのか」、中国の史書の正しさは、計算でわかっている。日蝕の記録、95%以上の一致。ほとんど、正しい記録だった。

0 件のコメント:

コメントを投稿