2026年5月18日月曜日

最終兵器の目 新しい真実の古代 「三国志」は間違い?では、なぜ使う?1

  邪馬台国は、どこにあったのだろうか?古代史最大の謎。時代を越えて、何度も語られ、何度も迷い続けてきた問いである。議論がはじまると、いつも聞こえてくる声がある。

「『三国志』なんて 矛盾だらけ」

「方角も距離も ぜんぜん合ってない」

「だから 信用できるわけがない」――

しかし、そう言うなら、こう問い返してみたくなる。だったら、なぜみんな今でも『三国志』を使っているのか? もし本当に信じられない史料ならば、もう頭から捨ててしまえばいい。考古学だけで勝負すればいいではないか。

たとえば、奈良県の纏向遺跡。炭素年代は卑弥呼の時代とぴたりと重なる。巨大な建築、濠、祭祀の痕跡、都と呼ぶにふさわしい規模と構造だ。「ここが邪馬台国だ」と言いたくなるのも当然。ではもう『三国志』は必要ないのでは? 行程も距離も捨ててしまって、考古学だけで完結させればいい。

纏向が邪馬台国だ、と言いたくなる気持ちはよくわかる。「邪馬台国は日本の首都大和でなければならないのだから?」と言っているから。ではもう『三国志』はいらない? そう、行程も距離も捨てて、考古学だけで、済む話ならば。

しかし、人はそれがなぜかできない。理由は、きっとひとつ。「信じたい」からだろう。

「卑弥呼は本当にいた」

「でも、魏志の距離はちょっと変だ」

「方角もおかしいし、たぶん間違いだろう」

「纏向宮は130年までだった。」

「神功皇后は纏向にいなかった。」

「ならば、纏向女王ではなくてもいいや」

「だから、僕の結論に都合よく細部を調整してしまえ」

そうやって、〝信じたいところだけを信じる″態度で、日本全国に邪馬台国。もはや史料批判とは呼べない。

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