暦は誰が最初に創った? 空を見上げて、季節を感じて、時間に名前をつける、人間的で、詩的な営み。その起源をたどると、中国最古の歴史書『史記』にあった。「帝堯本紀」の一節には、「歳三百六十六日以閏月正四時」一年を366日とし、閏月で季節のズレを整える。
「閏」は「多い」の意味もあるが「正統ではない」の意味だろうか? これは、古代中国に太陽暦が生まれた瞬間を記した、とても重要な記憶である。そしてその暦つくりを任されたのが、ひとりの女性、その名は、羲和である。彼女は、太陽の動きを観て、移り行く季節を感じ、人びとの暮らしに、春や夏・秋・冬という名を贈った。時間を司る「一年」という器に、四季を発明した。
しかし、驚くのはその名前よりも、彼女の「出身地」だ。『山海経』には彼女の住まいが「大荒東」や「大荒南」と記されていた。それは中国の東、海の向こう、南九州や奄美、四国、紀伊半島の南岸など、日本列島の南の海辺を示しているようだ。羲和は、そこに住む〝海の民″だったのかもしれない。しかも『山海経』では、彼女が「帝俊」という神の妃。帝俊は九州の三身国を生んだ
つまり、太陽のリズムを観察して、暦という「世界の秩序」を編み出した女性は、山東半島から見た東の海、黄海のはるか遠い向こうにいた。おそらく、その記憶は、列島で引き継がれている。
『史記』に記された暦のしくみ、「366日+閏月」という制度は、現代の太陽暦に驚くほど近い精度を持っていた。季節のたった1日のズレを、太陽や星や風だけで見極めるには、高度な天文学の感覚と観測の技術が必要だ。その技を持っていたのが中国の〝海の向こうに住む女性″だったというのである。そして、その記憶は、今もわたしたちの言葉の中に、残っている。
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