2026年5月22日金曜日

最終兵器の目 新しい真実の古代 中国の史書は距離がデタラメ?1

  「邪馬台国なんて どうせ見つかるわけがない」

「だって 『三国志』に書いてある距離なんて メチャクチャだ」

そんな言葉を、これまでに何度聞いてきただろう。まるで古代史の呪文のように、疑いの声が。その根拠として、たびたび持ち出されるのが、元や明の時代に描かれた、中国の古地図。その中でも特に有名な図がある。「混一疆理歴代国都之図」、国々をひとまとめに描こうとした地図。目を凝らせば、そこに広がるのは歪んだ世界だ。

日本列島は、東西と南北がどこか逆になり(方角が違う?)

朝鮮半島は膨れ上がり、九州はまるで台湾の傍らにたたずむ(距離が違う?)

「こんなんで魏の使節が来れるはずないじゃないか」(だから信じられない)

確かに、そう言いたくなる気持ちは分かる。

しかし、「ちょっと待って!」。それ、本当に「史書が間違っていた」と言い切れるだろうか? 唐から宋、元、明へ。中国は、幾度も日本と向き合い、海を越えてやってきた。その交流の中には、思いのほかリアルな〝距離感″がある。たとえば、『宋史』。「日本 東西南北各數千里」、長崎から銚子まで、約1200km。宋代の「一里=400m」で換算すれば三千里。不思議なほど、ぴたりと合ってしまう。

つまり『宋史』を編んだ中国「元」の知識人たちは、距離を知っていた。海を隔てた島国を、きちんと「数」で見つめていた。では、あの歪んだ古地図とは何だったのか? それは、図が間違っていたのではない。変換の目が、間違っていた。『三国志』に記された道のりと距離は、魏の使節が実際に歩いた、〝地に足のついたルート″だった。彼らが通った道、見た風景、費やした日数、それらすべてが、記録として残された。

0 件のコメント:

コメントを投稿