2024年7月3日水曜日

最終兵器の目  新しい古代の神話 天照大御神6

  天照国照彦天火明櫛玉饒速日は、2つの名前を繋げたもののようだ。天照国照彦天火明が天降りして照国(鳥浜)の王となった火明と櫛玉饒速日が櫛王の饒速日だ。火明は尾張連の始祖であり、饒速日は物部氏の祖だ。また、別名として胆杵磯丹杵穂命があり、壱岐と伊襲、二岐の穂、岬に住んだ人物のようだ。饒速日の家系は火明の家系と姻戚関係になって、これらを習合させたのだろう。『三國志』の大倭王が物部氏の王であり、一大率として伊都と壱岐を支配下に置いていたことを示している。別名は史書を記述した時に後から付けられた名前なので、世代が異なっても矛盾はしない。

饒速日は加須屋大海祇と共に速日国から二岐に天降った人物であり、櫛王になったと考えられる。櫛は後に天日方奇日方が朝廷を開いた場所で、三国にある。そして、分家が隠岐王の美豆別之主酢命であり、三国の津からの分家だ。美豆別之主が没落し、二岐に住む宇摩志麻治が大人国の実力者になったと考えられる。本来の名は味間見、馬島神で、志麻治は連が邑治()、その初型で島霊なのだろう。縄張りを島と呼ぶことがある。隠岐が於母島、於州国で、岐や島は国と同じ意味を持ち、志麻治は邑長の意味だろう。

馬津は美津、美浜の久々子(クグシ)湖、久久の邑の神の娘に婿入りした分家だと考えられる。敦賀と美浜町の境に馬背峠・馬坂峠があり、美浜は、ウマハマが起源ではないかと思われる。馬浜が美浜に変化したのは、三国王の天日方奇日方の支配下になったためだろう。三浜や神浜という名前でも良いが、「ウマ」と読める美を使ったのかもしれない。

そして、宇摩志麻治は大神を祀り、「食國政大夫」となった。食國は隠岐で、奈神の黄泉津大神を祀る国であり、月讀が任されていた。宇摩志麻治は美豆別之主の後継者で、奈賀命の最有力の家臣だ。「周饒國」は王の武力の象徴である剣を帯びない。それに対して、霊剣を持ち、大神を祀る帯剣の物部氏がいた。

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