2024年7月1日月曜日

最終兵器の目  新しい古代の神話 天照大御神5

  出雲で大きな戦いが起こり、阿遲鍬高日子根の子である奈賀命が隠岐の王になった。隠岐「周饒国」は武力ではなく、大国と三国の力を背景に、婚姻と賜姓による統治に戻った。そして、その出雲の戦乱から逃れる際に、武日照が神宝を持って逃れたようだ。

前王の美豆別之主は主栖に移住し、祖神は分祀されて久米部の祖神として奈岐の浦に祀られた。そして、大国主や武日照は大国から追い出され、島根県の出雲や丹波亀岡に逃れた。祖神の大山祇の名を冠した大山は、大山が大山祇のシンボルならば、出雲の大山祇ではなく出雲山祇とされるべきだ。大山(ダイセン)は漢字が入ってからの命名である。

「宇都須山祇」は良く知っている具体的な国名が付加されていない。他に出雲を付加される神は鞍山祇のみであり、大邑と鞍邑が若狭にあり有名であった。そのため、『伊未自由来記』の作者は現代の出雲にこれらの神が存在していたと考え、出雲を付加したのだと考えられる。

於母の島の神と思われる淤加美の娘には、建比良鳥と関係がありそうな比那良志毘賣が存在し、甕主日子の妃だ。『舊事本紀』によると、建甕槌は天尾羽張神、別名甕速日神の子であり、その後裔と考えられる。

伊邪那美が葬られた比婆の山は、伯伎と出雲の境にあった。『山海經』の時代には、伯伎と思われる𨲠丘の隣国は大人国であり、因幡や但馬はまだ国として存在せず、伯伎に含まれていた。比那良志毘賣は比婆の山がある地域の毘賣だと思われる。「ラ」や「ル」は状態変化を示す助詞で、「天降る」は天から移住することを意味する。尾羽張は伊邪那岐の出身地である多賀から伯伎に来たことを示しているのだろう。

甕速日は名から加須屋大海祇と三国神が習合した神だと考えられる。建甕槌之男の別名である建布都神は、大国主に国譲りをさせた神で、その韴霊で神武天皇が勝利したとされている。

日名照額田毘道男伊許知迩の曾孫が比那良志毘賣の夫である甕主日子だ。そして、建甕槌は出雲臣の娘、沙麻奈姫の子なので、建甕槌も出雲臣の家系、そしてその子である豊御氣主と引き継がれた。つまり、日名照額田毘道男伊許知迩の曾孫が比那良志毘賣の夫である甕主日子であり、甕を名乗る家系がこの時に武日照(夷鳥)との家系と交錯した。照(鳥浜)という地域、甕(三方)という地域、そして出雲の鞍(倉見・闇見)が同一地域にあることがわかる。

0 件のコメント:

コメントを投稿