2024年7月15日月曜日

最終兵器の目  新しい古代の神話 建速須佐之男3 於漏知戦

  三つ子の島はすべて於漏知の支配下になり、於母島の東の大津にも於漏知が侵略している。「僕者國神大山上津見神之子焉僕名謂足上名椎妻名謂手上名椎」と、大山祇の子は於佐の神に言った。於佐の神が於漏知と戦えたのは、6代目出雲の大山祇の足上名椎の娘を妃にできたからだった。「足」は支配者の意味、「手」は助手、奈の津の霊の意味だと思われる。櫛名田比賣は出雲の櫛という地域出身なのだろう。奇日方命や阿田都久志尼命の櫛で、敦賀には櫛川があり、三方五湖には久々子湖やはす川の支流に串小川がある。

於漏知は「踏鞴を踏んで金を作り、鎧・兜・盾・剣も作るので」、少人数でも戦いに強かった。すなわち、「周饒國」が沖津久斯山祇の代の末、於漏知は「高志之八俣遠呂知」のことで、「衣冠帶劍」の「君子國」の支配下にあった。佐之男が「八俣遠呂知」を「切其中尾時御刀之刃毀」と切った時、刃が欠けた。金属で補強した剣と石剣で戦えば、当然の結果だ。

「周饒國」が沖津久斯山祇の代の末、「君子國」は少なくとも於漏知の古志国、三国、出雲を含む「大人國」、そして隠岐の「三首國」の三つの小島までを支配下にしていたようだ。大山上津見神の子である稻田宮主須賀之八耳は、三国の役職名を賜姓されて大人國を統治した主、大国主だった。

八耳は三国政権下の八国(野洲)の神を意味し、八「三神」を表す。娘たちが於漏知の人質であるため、「大人國」は「君子國」の支配下にあった。「周饒國」の支配者は於佐の神から沖津久斯山祇に替わり、武器は石の十拳釼だった。於佐の神の分家である宇都須山祇の子である大人様は須賀宮を造り、八国を支配下にして「周饒國」の王になった。近江の大津から菅浦、若狭の久々子湖、隠岐の主栖津の「所知海原」と海の道を支配した。大人様も於佐の神を祀った須佐之男である。

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