2024年7月10日水曜日

最終兵器の目  新しい古代の神話 建速須佐之男1 建(タケ)

  建速須佐之男は直ぐ後に速須佐之男と書き換え、本来は速須佐之男であったようだ。『舊事本紀』でも、建素戔烏は亦の名の注で出現するだけで、素戔烏か速素戔烏である。時間軸は熊襲から建国のようである。建は熊曾國が建日別、土左國が建日別の分国の建依別、吉備兒島も建日方別と建日別の分国である。熊が日国によって建(タケ)と呼ばれたことを意味し、日別国は筑紫と豐と熊曾、日国は速日国であった。すなわち、「ク()」国・久国(木国)をある時期に「タケ」と呼んだことを意味する。「タケ」と呼んだ人物は神を「ケ」と呼ぶ集団である。

シナ海の「アマ」は「マ」を神と祀る人々で、同じ「マ」を祀る九州の人々を「クマ(キマ)」と呼んでいたのだろう。そして、「クマ」の土地に「タケ」が入ってきて、祀る神は「マ」の「タマ」でなく「タケ」を祀る人々である。但馬の比婆の「タケ」、化物の「ケ」、食国の比婆の神の「おばけ」である。中国人は、「アマ」を「悪魔」(èmó)、「ケ」を「鬼」(guǐ)と畏れ、悪は呉音も「アク」で「アマ」と「クマ」だ。すなわち、悪魔や鬼と呼んだ、中国語を理解する聖人が行き交った六合を統治した月讀が建と呼んだ可能性が高い。

そして、伊邪那岐と共に戦った尾羽張の子の建御雷之男、亦の名、建布都が大国主と子の建御名方を追い出した。そして、「タケ」の地を「ア()」が支配したのが隼人の「阿多」君、速日国から天降った人物である。

若狭の「佐之男」も、どの時代の人物かによって、須()、速、建の接頭語が付加される。唯の須は、天皇と同等の官位の姓、どこの国と書かなくても、どこの王か解るから、この姓を冠する。それに対して、建須・速須はより上位者が存在するから、国名が付加される。天皇も同様で、国名が付加されない日子や日女、縣主が天皇で、神倭磐余彦は天皇の名ではなく、媛蹈鞴五十鈴媛や比賣多多良伊須氣余理比賣、日子八井が天皇である。

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