2024年7月26日金曜日

最終兵器の目  新しい古代の神話 大国王4 丈夫国と君子国の狭間

  大人様は於母島の松野、後の主栖津で、全島征服の準備を始めた。加須屋大海祇の軍兵を乗せ武器・衣料・農工具・種子類を持って来た。宇都須山祇、須賀之八耳の時だ。三身の綱で国引きした説話の下敷きで、九州北部を統治した「衣冠帶劍」の「丈夫國」の武器なのだろう。しかし、それ以前に大人様が三つ子島の於漏知と戦った説話を語る。武器は煙管、焚火の火を語る。時代が違うので、おそらく、狼煙を消す焼火山の説話が変質したのだろう。君子国が強力で於漏知に出雲や隠岐三子島が奪われた時代の説話で沖津久斯山祇の時代の話である。

大人様も、佐之男も大山祇の娘の婿である。大山祇の子の足名椎は『舊事本紀』に「稻田宮主神坐出雲國神」と、出雲の神である。出雲は「出雲國五十狹々之少河(?)」と、若狭の小浜にあった。すなわち、共に君子国(三国)に支配されていて、丈夫国(速国)と拮抗していたようだ。その大山祇の娘の神大市姫を須佐之男は妃にしていた。そして、須勢理毘賣の婿の大国主を須佐之男の子に入れている。すなわち、大山祇の子も婿も大山祇の子なのである。その大山祇の神子の稻田宮主が大臣の祖、周饒国配下の大()主である。実際は大山上咋(大主)なのだろう。

天皇の祖は大神月讀、大連の祖が佐之男で、佐之男は主栖津の周饒国王、稻田宮主は大主、佐之男を継承する大人様は宮田に宮を遷した。大人国は砂丘の北、その北に、「奢比之尸」、それが丹後経ケ岬と考えられた。すなわち、大人国北端が経ケ岬、経ケ岬の近辺に伊根がある。伊根は舟屋で有名で、大人國は「坐而削船」と船を造っていたと記述する。『山海經』は、大人國が𨲠丘の伯耆の東、因幡から但馬・丹波を含み、君子国手前までだと述べている。『古事記』の若狭の出雲と伯伎の堺の比婆山は海を隔てた境だろう。現代の出雲は「海外南經」の三首国、隠岐三小島の西の反舌国と思われる。島根半島の形そのものである。

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