2024年3月1日金曜日

最終兵器の目  新しい古代の神話 神話の継承

帝俊の子の帝鴻が黄帝とする説がある。しかし、日本人には同じ「コウ」と読めるかもしれないが、現代の中国人は「鴻」が「Hóng」、黄が「Huáng」と微妙に異なり、同一人物とは考えないだろう。中国の古代でも、文字が異なれば、微妙にニュアンスが違う。それでなければ、聞き取って文字が書けないこともある。そして、同一文書内に同一人物の文字をかき分けることは考えられない。また、黄帝は「姓公孫」と公孫氏、帝鴻は「帝鴻生白民白民銷姓」と銷氏とされる。

「海外南經」には「六合之閒四海之・・・神靈所生・・・唯聖人能通其道」と記されている。黄帝と帝嚳は「生而神靈」と神霊を生む神になった。帝堯は「其知如神」と人間で神のようだと記述されている。帝顓頊は「依鬼神以制義」と鬼道で治めた。つまり、帝堯と帝顓頊は神ではなく聖人であると言えるだろう。帝堯は「海外南經」「大荒南經」「海内北經」「海外東經」に記されている。六合の住人であり、羲和も「東海之外」、「東南海之外」と黄海やシナ海に近い地域に住んでいた。彼らは六合を行き交う聖人と言える。また、黄帝と帝嚳は神霊であるため、六合で生まれたと考えられる。帝嚳の宮殿は「海内北經」の渤海沿岸にあり、埋葬された場所は「海外南經」と「大荒南經」の交わる場所で、関門海峡と考えられる。古代は生まれた場所に埋葬されることが多いと言う。

殷の初代の殷契は、「玄鳥墮其卵簡狄取吞之因孕生契」と玄鳥が卵を落とし、簡狄がそれを取って食べ、それで孕み、契が生まれたとされている。彼は帝嚳の子ではなく、帝嚳の妃と玄鳥の居る地域の不明な人物の子のようだ。「幽都之山黑水出焉其上有玄鳥・・・有玄丘之民有大幽之國」と玄鳥は大幽之國に居た。その後、14世代後に初代殷帝とされる天乙が現れる。夏帝の禹と夏后は殷契と同世代であり、その12世代後に帝履癸が夏帝に即位し、「湯乃踐天子位」と湯に天子の位を譲ったと記されている。禹の系図には兄弟相続も2回有り、帝位は14世で、世代的には矛盾がないようだ。

0 件のコメント:

コメントを投稿