2024年3月6日水曜日

最終兵器の目  新しい古代の神話 中国王朝の祖の帝嚳2

帝嚳は「帝嚳高辛者・・・高辛生而神靈」というように、神格化された存在として描かれている。また、帝堯もまた「其仁如天其知如神」と記述され、神のような存在とされていますが、実際には神ではなく、神のような人間であるとされる。一般的に、神はある特定の氏族や部族にとって唯一無二の存在とされるため、黄帝や帝顓頊も、帝嚳の末裔にとっては他の氏族の神と見なされる。実際、帝嚳の宮殿は「海内北經」に記述されており、渤海の王の祖とされ、山東半島の天民の王の天子ではない。

殷や周も帝嚳の妃の末裔を自称しているが、帝嚳と血縁関係があるわけではない。『山海經』には、黄帝の子が駱明、孫が鯀、曾孫が夏禹と記されているが、帝嚳の血統に関する記述はない。中国では、神の子である場合、彼らは神ではなく、神子として天子と呼ばれる。つまり、神と神子、または神と人(氏族)との関係があるが、本来、神には親子関係という概念はない。むしろ、それは人と人、氏族と氏族の支配や被支配の関係に親子関係が適用される。

したがって、「生而神靈」という記述は、実際には国々を統一し、被支配国の神を配下に置いたことを示している。一方で、黄帝や帝顓頊は他の氏族の神と思われる。帝嚳の氏族が黄帝の氏族に敗れた結果、黄帝の4番目の曾孫として位置づけられた。そして、神霊を生むことは、国を支配したことを意味する。帝嚳の子である帝堯が「其知如神」と記述されるように、帝堯は『史記』にとっては初代の天子と見なすことができる。

帝嚳が黄帝の曾孫であるということは、おそらく、漢朝の祖神が黄帝の後継者であると主張していることを意味する。殷と周は帝嚳の末裔であり、天乙の統治下で、殷の武乙が天神を祀って無道とされ、それが殷の衰退につながったと考えられる。天神は天帝を意味し、黄帝の末裔であるにもかかわらず、天帝を祀ったことで、黄帝の神罰が下ったと示されたのだろう。

秦の始皇帝が皇帝(huáng dì)を名乗ったのは、同音の黄帝(huáng dì)の末裔であるとの主張があったためと考えられる。しかし、秦始皇帝より前の王朝は、黄帝は神ではなく、天神の天帝の子の天子であると記されている。

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