2024年3月20日水曜日

最終兵器の目  新しい古代の神話 日本 中臣氏

  『古事記』によれば、最初の神は「天之御中主」であり、天降った三国の配下の中主だった。不思議なことに、神でありながら「仲国王」(Chinaと区別のため)と呼ばれ、さらに主は官位で上位者が存在したと思われる。中臣の上位者は大臣、中主の上位者は君子国か周饒国と思われる。一方、『日本書紀』には中主の名前は記載されていない。この史書は、森博達によれば、安康紀以前は漢文に詳しくなかった人物が記述した可能性がある。同じ王朝内であれば、その王が理解できる言葉で記述されるはずである。したがって、『日本書紀』は継ぎ接ぎの史書であり、その神話は雄略朝の人々によって記述されたものであると考えられる。その為、「天之御中主」を祖に持つ氏族は雄略天皇の有力な氏族ではなかった可能性が高い。

雄略天皇は葛木氏の市邊押磐皇子や圓大使主(大臣)を排除して皇位に就いた。彼は臣に使主の文字を用いた人物で、漢直や倭王の阿知使主、都加使主は、大伴氏を豊國や日向に追い出した氏族だ。雄略天皇は漢直を排除し、東漢直を使っていることも記されている。さらに、物部氏の日觸大使主を倒し、物部氏から大連を奪った。紀氏の根使主は大草香皇子の皇位の璽の玉縵を奪った逆賊である。

物部氏が書いた『舊事本紀』では、祖神の中で狭霧尊が特別視され、他の神である天御中主尊と可美葦牙彦舅尊も「一代倶生天神」として同じくらいの扱いを受けている。しかし、この記述で注目すべきは、狭霧尊は物部氏が祀る大神であり、当然のことと言えるが、天御中主尊と可美葦牙彦舅尊はこの記述以外には一切登場しない。つまり、最初の神が全く現れない神話は、本来の神話とは言えない。実際には、物部氏が記述した神話は、物部氏の祖神の饒速日から始まる神話に、天皇や藤原氏の祖神を追加したものであると考えられる。

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