朝鮮の古代に関連する書籍としては、一般的に『三國遺事』が有名である。一方、古い内容のある、『桓檀古記』は在位年が詳細に記されており、神話的ではない。記録としては、中国の歴史書には周武王の時代から干支が記録されているが、それ以前の帝堯の時代にも年の概念が存在し、干支の記録があった可能性がある。
『三國遺事』には「受圖籙」という図や記録を受け継いだという記述があるが、具体的な証拠は見つかっていない。また、この書では漢の劉邦が三国の始祖とされているが、「沛公自此而降豈可殫記然則三國之始祖」という記述には「此紀異之」と疑問符が付けられている。
檀君王險の説話は、『三國史記』には触れられてないが、これは『史記』の黄帝の話と同様である。つまり、高麗の始祖である神の檀君が馬韓以前に挿入された可能性が考えられる。
『三國志』によれば、「高句麗東夷舊語以爲夫餘別種」と高句麗は魏朝以前の時代には扶余とは見なされていなかったことが記されている。つまり、これ以前の朝鮮は扶余ではない別の民族の国だったということだ。
檀君は旧の燕の領土に属する扶余の人物と考えられる。彼は檀雄と熊氏の娘の子であり、王の地位に就いたとされる。一部の文献では『魏書』にその記述があると言われているが、実際には存在しない。その代わり、高句麗を支配した毌丘倹が王儉である可能性がある。毌丘倹は山西省の出身であり、沛公の首都が西安に近いことからも関連性が考えられる。『桓檀古記』は、毌丘倹を檀君に変えて、古代朝鮮から高麗時代までの歴史を記述したと考えられる。
0 件のコメント:
コメントを投稿