「南山經」に、招揺之山の近辺の十山には「鳥身而龍首」と鳥の身体を持ちながら龍の首を持つ神がいた。同じく、十七山に「龍身而鳥首」、十四山には「龍身而人面」と龍神がいた。龍神は黄帝の同族の神であると考えられる。山東半島周辺には四十一柱の神々が存在しており、これらは『山海經』で最初に記述されている。したがって、この地域が中心とされるのは当然の結論だ。その中には黄帝が含まれていたと思われる。農耕民族にとって、耕す土地毎に神が存在すると考えられる。
「西山經」には、十神が「人面而馬身」、七神が「人面而牛身」、その他二十三山に「皆羊身人面」の神がいた。「北山經」にも、二十五山に「皆人面蛇身」、十七山に「皆蛇身人面」、廿神が「馬身而人面」、十四神が「皆彘(?虎)身」、十神が「皆彘身而八足蛇尾」という神がいた。渤海に面すると考えられる「東山經」には、十二山に「皆人身龍首」、十七山に「皆獸身人面」、九山に「皆人身而羊」という神がいた。「中山經」には九山に「人面而鳥身」、九山に「皆人面獸身」、十九山の十六神が「皆豕(猪)身而人面」、二十三山に「皆鳥身而人面」、十六山に「皆馬身而龍首」、九山に「皆龍身而人面」、四十八山に「皆彘身人首」、十萬山に「皆鳥身而龍首」という神がいたと記述する。十萬山とあるように、山は氏族や部族ではなく、家族単位の集まりの狩猟民の可能性が高い。馬牛羊鳥などを神聖視していたようだ。
「山經」に対して「海經」では女子國、二八神、昆侖之虛、女媧之腸の4地域以外、国毎に1神である。人が集まって住めば、その地に神が一柱存在する。複数の家族が協力するため、指導者が必要になり、氏族となって神が生まれる。一神教とは異なり、土地ごとに異なる多神の信仰である。それに対して、狩猟民族は個々人が其々神を持つので、集団になると神を崇拝するのではなく、預言者や教祖を尊敬して、教祖の神が唯一無二の神となる。
春秋戦国時代には多くの朝廷が興亡した。これらの朝廷には伏羲、女媧、燧人、神農、炎帝、天帝などの神々が信仰されており、これらの神々は「山海經」に含まれているのだろう。現代でも天照大御神が信仰されるのは、現代の朝廷の神が天照大神だからだろう。一方中国で、天帝や黄帝が信仰されないのは、漢などの朝廷が滅んだからだと考えられる。北方の狩猟民族が中国や朝鮮を支配したため、神ではなく、儒教の孔子のような教導者が尊敬された。
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