2024年2月28日水曜日

最終兵器の目  新しい古代の神話 漢の神

  帝顓頊は「黃帝之孫而昌意之子也」と記述する。さらに、帝嚳は「黃帝之曾孫也高辛父曰蟜極蟜極父曰玄囂玄囂父曰黃帝」と記述する。すなわち、帝顓頊の父は昌意と記述され、少昊ではない。しかし、『山海經』では「少昊之國少昊孺帝顓頊于此」とあるように、帝顓頊は少昊から少昊之國を譲られる。項目の初出の顓頊に帝を付加しないのは、奇異で、孺帝ではなく、乳飲み子の帝顓頊だろう。神格である孺帝なら帝孺と記述するべきだ。帝顓頊の系図は帝嚳に比べて曖昧だ。帝顓頊らは天子なのだから、最高神は天帝である。

 帝堯は朝廷で70年間統治後、帝舜に「令舜攝行天子之政」と政治を任せた。28年後、堯朝は崩壊し、「中國踐天子位焉是爲帝舜」と帝舜が天子に即位した。帝舜は、黄帝、昌意、帝顓頊、窮蟬、敬康、句望、橋牛、瞽叟、そして帝舜の黄帝から9世代の子孫だった。一方、帝堯の系図は黄帝、玄囂、蟜極、帝嚳、そして帝堯の4世代だ。この5世代の差は、約100年に相当する。堯朝が98年間続いたことと整合的である。ここで、帝堯が90年以上帝位にあるのは考えられない。これは数代の帝堯の存在を意味する。その後、「舜乃豫薦禹於天」という記述があり、帝舜は56年の在位期間で禹に天子位を譲った。夏禹は黄帝、昌意、帝顓頊、鯀と継承した鯀の子で、そして、帝堯と同世代である。『山海經』には「黄帝生駱明駱明生白馬白馬是為鯀」と記されている。黄帝5代目の夏禹が9代目の帝舜から天位を譲られるのは矛盾している

 すなわち、帝舜は天帝の末裔であり、夏禹は黄帝の末裔と考えられる。『史記』においては、夏朝も漢朝が龍神である黄帝の子孫の立場としている。しかし、『山海經』には帝顓頊の子孫である帝舜の祖である窮蟬の記述は無い。帝舜の母親についても記されていないが、帝舜は姚姓であることが知られている。姚姓は『山海經』に「帝俊妻娥皇生此三身之國姚姓」と記されており、帝俊の子孫である可能性が高い。帝堯は羲和に歴法を制定させた。「羲和者帝俊之妻」という記述から、帝俊の妃である羲和の子孫であると考えられる。帝俊は三身国王を生み、孫の義均は「是始作下民百巧」と100の技術を考案した。また、「舜子商均」という記述から、帝舜の子である商均も同様に均と名付けられている。商は殷のことである。ただし、帝舜と帝俊は発音が異なり、帝舜は帝堯よりも後の世代に位置し、帝俊の孫は帝堯と同世代である。帝舜は義均の子孫なのだろうか。

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