后稷は『山海經』に「帝俊生后稷」と記述されているが、『史記』には帝俊の記述はない。劉邦は「太公往視則見蛟龍於其上」と述べ、龍神の化身であるとされている。また、『南山經之首』には「神狀皆鳥身而龍首」と記述され、この龍神の化身が劉邦と思わせている可能性がある。「糈用稌米」という記述から、米があり、糈を供えて祀っていたことが分かる。『史記』は漢朝の史書であり、最初に黄帝を記述するのは、龍神が黄帝の化身であるとされているためだろう。黄帝は苗龍の親であり、應龍に冀州の野を攻めさせた。周朝の祖は后稷だが、その父である帝俊は記述されていない。帝俊は晏龍の父の龍神でもあり、周朝の始祖を黄帝に書き換えた可能性がある。それは、黄帝の八代後にあたる帝舜と、四代後にあたる夏禹が同時に記述されていることから、矛盾が生じているからである。中国では皇帝を天子と呼ぶことがあり、神である天の子と言い、帝は神であると考えられ、日本の天神と同様の意味を持っている。
『山海經』の冒頭は『南山經』であり、そこには龍神が存在している。この『南山經』には「西海之上」、「會稽之山」、「天虞之山」という地名が記されている。これらは東シナ海に面した地域で、天子が生まれた天民の国が存在した場所と考えられる。次に登場するのは「西山經」で、ここでは「玉山是西王母所居也」と記述されている。これは西王母が住むとされる場所であり、古代に月支国近辺にあった湖の沿岸だった可能性がある。また、『海內西經』でも最後に西王母が言及されており、「海內西南陬以北者」と揚子江から上流と示唆されている。
西王母が住む玉山から50㎞西に「長留之山」があり、少昊が住んでいた。少昊は「少昊孺帝顓頊」と記述されており、帝顓頊の父であり、大壑に子供を置き去りにした。「長留之山」の西80㎞には天山があり、「英水出焉・・・實為帝江也」という記述がある。この場所は天帝の川が流れ出す場所とされている。中国人も日本人も神は海や川、生命が生まれる場所であると思っていると考えられる。さらに、西王母が住む「玉山」から東に60㎞離れた場所に「槐江之山」がある。その文末の「有天神焉其狀如牛而八足二首馬尾其音如勃皇見則其邑有兵」という記述は、天神が軍隊によって王となった牛の化身である皇帝、天帝を表している。神霊が生まれた場所は「六合」と『山海經』は記述している。「六合」は黄海・シナ海・渤海・日本海南部・東部のことと考えられる。この天神は東王父・扶桑大帝なのだろうか。扶桑は鳥取砂丘から北の日本海東部を記述した『海外東經』の「湯谷」の北に位置している。天神の天帝も「六合」で生まれたと考えるべきだろう。
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