2024年2月7日水曜日

最終兵器の目  新しい古代 『三國志』の武器

 倭人の武器を『三國志』は、「兵用矛楯木弓木弓短下長上竹箭或鐡鏃或骨鏃」と記述する。そこで、『古事記』の武器を調査した。同時代と宣言している神功皇后以前の武器を見ると、古事記で剣が13例、刀が65例、矛が15例、劔が5例と、圧倒的に矛の数が少ない。

 「古事記」矛

天沼、其沼、八千神、此八千神、握横刀之手上由気、宇陀墨坂神祭赤色楯、大坂神祭黒色楯、縵八縵・、縵四縵・(2回)、羅木之八尋

「古事記」剣

御佩之十拳(3回)、御佩之十掬(2回)、神度、其前、以納于、自懐出自其胸刺通、自尻刺通、賜草那芸置其美夜受比売之許而

「古事記」 釼

抜其所御佩之十拳、亦取成刃。八尺勾鏡及草那芸、其弟破御佩之十拳、御陵在池之中崗上也

「古事記」刀

人名 16

訓或云麻比、布玉命() 二字以音、於底津石根宮柱布斯理、如先期美阿多波志都、伊古夜能伊毛能美許等、久米能摩伊比売、名荒河弁之女、弁二字以音、苅羽田弁、弟苅羽田

使用例(使用の動詞有り、若しくは、動詞+前置詞有り) 39

著其御前之血、著御本血亦、集御之手上血、因御所生之神者也、御之刃毀、思恠以御之前、取此大、汝所持之生大・生弓矢以而、持其大・弓、取佩頭椎之大、以槽小析其口、解所佩之槽小、齎一横、受取其横之時、問獲其横之所由、専有平其国之横、可降是、此者坐石上神宮也、降此状者、信有横、以是横而献耳、即握横之手上、毎人佩、抜一時打殺也、令作横壱仟口、即作八塩折之槽小、以此小刺殺天皇之寝、其后以槽小為刺其天皇之御頚、作八塩折之槽小授妾、莫動其、作詐、取佩出雲建之解置横而、詔為易、佩倭建命之詐、云伊奢合、各抜其之時、出雲建不得抜詐、抜其而打殺出雲建、所忘其地御

刀の名 7

所斬之名謂天之尾羽張、在都牟刈之大、是者草那芸之大也、其持所切大名謂大量、此名云佐士布都神、先以其御苅撥草、以其御之草那芸剣

祭祀 3

御幣登取持而、布詔戸言祷白而、取持其大神之生大与生弓矢及其天沼琴而

以上

剣・刀等の多くは実際に武器として使用・携帯し、矛は神事で出現する。中国の使者は矛と刀や剣と見間違えたか、省略したのか、見分けがつかないのだろうか。すくなくとも中国ではすべてまとめて矛と言わない。全て中国語、漢字で、刀や剣は矛と全く別物である。

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