『三國志』の武器と『古事記』の武器は異なるもので、『三國志』の倭奴国では矛が主流であったのに対し、畿内では剣が一般的だった。「其兵有矛楯木弓竹矢或以骨為鏃・・・宮室樓觀城柵嚴設常有人持兵守衞」と祭祀のための矛では無かった。実戦で使い慣れた矛だから役立ち、威嚇にもなる。そして、『後漢書』から『三國志』の時代に、漢や魏の臣下の倭奴國と畿内政権の大倭と熊襲との戦乱が始まった。
すなわち、『古事記』は『三國志』の世界とは一線を画した史書であり、青銅器の分布からも異なる武器の使用が示されている。瀬戸内地域は青銅の剣の出土地帯であり、九州とは異なる傾向が見られる。大国の神話において刀剣が登場することも、考古学的な証拠と合致している。また、武器の分類には長さなどの要素が関わることもあるが、矛と剣は別物として扱われる。
島根で矛と銅鐸がまとまって出土した遺跡があるが、『古事記』には出雲に関する矛や銅鐸の説話は見られない。『出雲風土記』にも矛の記述が無い。実際、現代の島根県は『古事記』の出雲ではない。「大人國」に出雲があり、『山海經』では大人國は(鳥取)砂丘の(東)北方、伊根の経ヶ岬の南にあった。『日本書紀』でも出雲振根は木刀、弟は眞刀であり、出雲で刀剣に関する記述が見られる。『古事記』に登場する矛は祭器としてのものであり、出雲臣たちが東の「拘奴國」との戦いや畿内政権から奪った武器や祭器を埋めた可能性も考えられる。
現代の神器は、天沼矛ではなく草薙剣・草那芸之大刀・天叢雲剣であり、剣と刀を区別していない。また、神事では矛と剣をあいまいにしていない。『古事記』の対象地域は豊国以東の地域であり、豊国は『日本書紀』の中で日臣が得た地域と一致する。『日本書紀』の雄略朝廷は大伴室屋が最高権力者と考えられ、大伴氏の遠祖が日臣である。したがって、『日本書紀』が日臣の神話を使用するのは自然なことだ。
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