『日本書紀』は雄略朝が神話から安康朝まで記述した。國常立が雄略朝の祖神と記述する。雄略朝の国という概念が既にある人物が始祖神で、それ以前に初めて国を造った神がいるはずだ。そして、國常立の後、神が生まれる。天照大神より以前に生まれた神が、雄略朝の始祖神たちと思われる。天照大神が最高神なのだから。
日本には神代文字を使った古史古伝がある。しかし、その内容は、火を「か」と読んだり、天を「そら」と読んだりしなければならない神話がある。日本語は「ほ」や「あま」と読まなければならないはずである。さらに、天も中国文献を読んでから、輸入した概念で、天子から訓読みで使ったと思われる。勿論、中国でも、天は空ではなく、水のあるところである。古史古伝は、漢字を知ったうえで、その地域では漢字を知らないから、その地域で使う文字を使ったに過ぎない。漢字が日本中に行き届いたのがいつごろかわからない。しかし、それまでは、神代文字を使った後代の神話が創られた。例えば、7世紀に古史古伝が創られれば、6世紀まで、天照大神より前に記述されることになる。
だから、『古事記』の神の先頭は御中主という神らしくない神から始まる。『舊事本紀』は天祖天譲日天狭霧國禪月國狭霧尊と狭霧國、月國という、既に国がある状態の神が先頭に記述される。国の最初は「岐」、「洲」で、王は「ひと」のと(人)で、最初はおそらく「め(女)」が王である。古史古伝は神話であることを前提に、前後関係を考えなければならない。系図も縦の系図か横の系図か解りにくく、前後が逆転していることも考えられる。なぜなら、日本人は襲名するため、初代の関係者か末代の関係者か何代目か解らないからである。『日本書紀』も百年以上、一代20年として6・7代襲名が続いた名がある。卑弥呼が天照大神と時代という錯誤を主張する人物も存在する。しかし、天照大神は少なくとも前7世紀以前、卑弥呼は3世紀の人物である。その人物の資料は、卑弥呼の次代の人物の神話と考えるべきだろう。卑弥呼は神話の人物でなく、記録の中の人物である。私の母や祖母が天照大神と主張するのと同じことを主張している。
中国の神話の『山海經』には神農氏が記述されないが、『史記』には記述される。それは、漢民族の神が神農氏で、それ以前の中国の神の西王母や黄帝を祀る民族と取って替わったからである。神農は周本紀に「武王追思先聖王乃褒封神農之」と記述される。父の文王が神農から褒美をもらい、すなわち、周皇帝の神が神農と思われる。中国は天子が皇帝なので、天が神、天は水がある場所である。『山經』「南山經之首曰䧿山其首曰招搖之山臨於西海之上」と最初に記述される。䧿山の水が西海に流れ込む、西王母が住む場所である。そして、東方父は『海經』「海外南經」の「六合之閒四海之內照之以日月經之以星辰紀之以四時要之以太歲神靈所生・・・唯聖人能通其道」である。天文を司り、四季がある、神霊を生む場所で神でもある聖人が住む場所である。『山海經』は神話を書いたのだから、最初に始祖神を書くのは当然である。
神代文字を使った古史古伝はそのような神話のひとつだ。履中期に「諸國置國史」と各国に史書を書かせ、少なくとも「四方志」と4国は史書を提出した。その中に神代文字の史書があったのだろう。その史書は編年がない神話、4世紀までの神話である。4世紀の人物が天照大神の前に記述される。
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