2022年3月30日水曜日

最終兵器の目  『日本書紀』崇神天皇類書・物部氏のまとめ1

  崇神朝の時点で物部氏の神話が終了したのでまとめてみたい。

物部氏の神は『舊事本紀』に「天譲日天狭霧國禪月國狭霧尊」と記述され、天の日国・月国から国を譲られた狭霧國王と記述され、尊すなわち神の子達で、狭霧の狭は若狭の狭国と考えられた。

宗像の丈夫国(日国)の神は後の「卑弥呼」が王なのだから日神の神子(みこ)、隠岐の周饒国(食国)の神の「おみ」・臣(海・天)、君子国(三国)の神の「きみ」・岐神で、これらの国のみ「冠帶」と王冠を帯びる王の中の王の国で、その王が日子(日神子)・君子・天(海)子、その他の国の王は霊「ち」で、大人国(大国)の人々の霊(国神)を聖人(ひじり)と呼び、船を操って交易を行っていたと思われる。

そして、大人国(大国)は周饒国(隠洲国・隠岐)の支配下となり、若狭もその支配下となって「食國政大夫」と隠洲国の大夫の狭霧尊と尊(神子人)と呼ばれ、譲日の天降陽神・禪月の天降陰神の子孫が天璽瑞寶を持った饒速日・伊香色雄達で、おそらく、天道根の子孫と思われる天道日女を妃にした天香語山(髙倉下)、大倭根子の娘の真鳥姫・御炊屋姫を妃にした宇摩志摩治を生んだと記述し、どちらも、「ぢ(下・治・遲)神」と記述され、物部氏の神の襲名が宇摩志摩治(宇摩洲遲)で、尾張氏は神刀の名と同じ天村雲なのだろう。

志摩治(洲遲)は「神霊」の冠帶する神の洲神・岐神に対する、冠帶しない独立国の国神の洲遲・岐遲で、国神の国の領域は邑程度の支配だったので、国神は邑遲・連であり、周饒国の配下の国神は臣・隠神、君子国・三(神)国の国神は耳・三神、丈夫国の国神は神霊が生まれた地域なのだから国神は日子(卑狗)が相応しく、その後、九州の各地に岡・水沼・伊覩・沙麼・筑紫など縣主が頻出し、九州の十七縣の王が都加使主と呼んでいるのだから、国(縣)神は主(爾支)である。

この、 髙倉下・宇摩志摩治の流れを汲む姓が連(邑の神・邑遲)で、句句廼馳・野槌・大己貴も同系の霊の神々で、饒速日は二岐速日と考えられ、対馬とその日別の宗像の尊(神子人)と考えられる。

そして、天道日女は、本来、宇摩志摩治を襲名した伊香色雄の妃の「山代縣主祖長溝」の娘の襲名で、その祖先の天道根は神武天皇に『舊事本紀』の「天道根命爲紀伊國造即紀河瀨直祖」と紀伊國造を賜姓され、これは、紀河瀨直とあるように、紀国・木国であり、これまでも示したとおりで、天道根は和迩臣の祖で、珍彦の子孫、伊迦賀色許賣の子の比古布都押之信と珍彦の妹との子が建内宿禰、庶兄が味師内宿禰で、『古事記』の4番目の神の宇摩志阿斯訶備比古遲も同じ系統の神で天道根の祖神の可能性が高い。

すなわち、神話の若狭の饒速日は大人の市などの分国を持つ海洋国大人国(大国)の曲浦の天道根と同盟し、宇摩志麻治は大人国(大国)の神である大神の活目色五十呉桃の娘を妃にし、子の彦湯支は出雲色多利姫を妃に大国王の出雲醜大臣が生まれ、宇摩志麻治も彦湯支も出雲醜も「食國政大夫以爲大臣」と隠洲の配下の出雲の大国の王の大臣と述べて、出雲を地盤にしたという意味である。

出雲臣女子沙麻奈姫」と出雲醜の娘は君子国(三国)の建飯勝の妃、その子孫が甘美韓日狹で、伊香色雄は「天璽瑞寶」を崇神天皇に渡して皇位に就任し、十市は出雲の「神寶」を垂仁天皇に渡して出雲にあった君子国の神寶を得て、義父の諸隅は「武日照命従天將來神寶」と大人国(大国)の神寶を得て、和迩臣の祖の建諸隅王朝は君子国・大人国・周饒国・丈夫国の領域を持つ王となり、その王朝の国名を中国で秦が統一したことに倣って、物部氏の辰国の音を引き継いだ表意文字の秦国と呼んだ。

すなわち、この頃から表意文字が使われていたと考えられ、倭が八の意味、さらに海士へとの変化がこの頃既に存在したと考えられる。

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