2022年3月7日月曜日

最終兵器の目  『日本書紀』開化天皇類書5

  『古事記』前川茂右衛門寛永版は続けて「故兄大俣王之子曙立王次菟上王二柱此曙立王者伊勢之品遅部君伊勢之佐那造之祖菟上王者比賣陀君之祖次小俣王者當麻勾君之祖次志夫美宿祢王者佐々君之祖也次沙本毗古王者日下部連甲斐國造之祖次袁耶本王者葛野之別近淡海蚊野之別祖也次室毗古王者若狭之耳別之祖其美知能宇志王娶丹波之河上之摩須郎女生子比婆須比賣命次真砥野比賣命次弟比賣命次朝庭別王四柱此朝庭別王者三川之穂別之祖此美知能宇斯王之弟水穂真若王者近淡海之安直之祖次神大根王者三野國之本巣國造長幡部連之祖次山代之大箇木真若王娶同母弟伊理泥王之女母泥丹波能阿治佐波毗賣生子迦迩來(米)雷王此王娶丹波之遠津臣之女名高材比賣生子息長宿祢王此王娶葛城之高額比賣生子息長帯比賣命次虚空津比賣命次息長日子王三柱此王者吉備品遅君針間阿宗君之祖息長宿祢王娶河俣稻依毗賣生子大多牟坂王此者多遅摩國造之祖也上所謂建豊波豆羅和氣王者道守臣忍海部造御名部造稲羽忍海部丹波之竹野別依網之阿毘古等之祖也天皇御年陸拾参歳御陵在伊耶河之坂上也」、【(系図は略した)天皇の年、陸拾參歳で陵は伊邪の河の坂の上に在る。】と訳した。

日子坐王が天之御影神の娘の、息長水依比賣を娶って、生んだ子は、丹波比古多多須美知能宇斯王で、御影神は『舊事本紀』に「天御陰命河内直等祖」と記述され、 凡河内直の祖は『日本書紀』に「天津彦根命是凡川内直山代直等祖也」、『古事記』に「天津日子根命者凡川内國造・・・山代國造・・・等之祖也」、すなわち、息長氏の多多須は素戔嗚の子孫で河内・山代王の祖の子、山代王は崇神天皇とした倭得玉彦の子の弟彦の子が玉勝山代根古と山代王で弟彦は間違いなく丹波比古多多須美知能宇斯王の子孫である。

以前、少彦建猪心が細姫の妹の倭迹迹姫を妃にした、一心同体の人物と記述し、その娘が比古布都押之信の妃となって屋主忍男武雄心を生んだと推定したが、その娘が、倭迹迹姫と名がよく似る、絚某姉の娘の倭迹迹稚屋姫と考えられ、屋主と屋姫は良く符合する。

また、天之御影の孫の水穗眞若王は近淡海の安(野洲)直の祖だが、剱根と波延の子孫の和知都美が淡道の御井宮にいる野洲国王、その娘が繩伊呂泥(意富夜麻登久迩阿禮比賣・大倭国阿禮比賣)で、この姫の子が、恐らく倭飛羽矢若屋比賣(若国八国王?)、その娘が息長水依比賣で、水穗眞若王が八国王を継承したと考えられ、事代主→八井耳→和知都美→繩伊呂泥→屋主忍男武雄心→倭迹迹稚屋姫→水穗眞若王の妃に継承されている。

春日宮天皇は60年間、恐らく3代程度の天皇が存在し、初代春日宮天皇は欝色雄、次に丹波国造の祖の建田背の娘を妃にした鬱色謎の子の初代大彦・由碁理、次に2代目大彦の大綜杵の子の皇后伊香色謎の兄の天璽瑞寶を持っていた伊香色雄と考えられる。

旦波の大縣主の由碁理が初代大彦で天皇が欝色謎・欝色雄、次に、その子の伊香色雄・伊香色謎、大綜杵の娘の伊香色謎を妃にしたのは2代目大彦で、大綜杵の子の伊香色謎・伊香色雄に皇位が遷って、天璽瑞寶を得た。

『古事記』には伊香色謎が内色許男の娘と記述されて、他史書の大綜杵の娘と違い、孝元から崇神天皇まで伊香色雄・伊香色謎が記述され、地名伊香色の襲名の可能性が高く、伊香色雄・伊香色謎に2組を想定した。

『古事記』で天皇は葛城之垂見(足神)宿祢の娘を妃にしたが、『日本書紀』に記述がなく、垂見は葛城氏、開化天皇の一人に当てているのは木国造の子の和迩臣の祖の建諸隅で、葛󠄀木直祖大諸見足尼は境原宮の皇太子だった人物と思われ、後継の葛城之垂見宿祢は2代目建諸隅と同一人物、鸇比賣と諸見巳姫も同一人物と考えられ、2代目建諸隅は叔母の袁祁都比賣を妃に坐王・倭得玉彦を生み、2代目袁祁都比賣は山代之大筒木眞若王・比古意須王を生んだと考えられる。


0 件のコメント:

コメントを投稿