2021年10月1日金曜日

最終兵器の目  『日本書紀』一書 第九段9

   『日本書紀』慶長版一書は一書()一書曰天忍穗根尊娶髙皇産靈尊女子𣑥幡千千姫萬幡姫命亦云髙皇産靈尊兒火之戸幡姫兒千千姫命而生兒天火明命次生天津彥根火瓊瓊杵根尊其天火明命兒天香山是尾張連等遠祖也及至奉降皇孫火瓊瓊杵尊於葦原中國也髙皇産靈尊勅八十諸神曰葦原中國者磐根木株草葉猶能言語夜者若熛火而喧響之晝者如五月蠅而沸騰之云云時髙皇産靈尊勅曰昔遣天稚彥於葦原中國至今所以久不来者蓋是國神有強禦之者乃遣無名雄雉往候之此雉降来因見粟田豆田則留而不返此世所謂雉頓使之縁也故復遣無名雌雉此鳥下来爲天稚彥所射中其矢而上報云云是時髙皇産靈尊乃用真床覆衾裹皇孫天津彥根火瓊瓊杵根尊而排披天八重雲以奉降故稱此神曰天國饒石彥火瓊瓊杵尊于時降到之處者呼曰日向襲之髙千穗添峰山矣及其遊行之時也云云到于吾田笠狹之御碕遂登長屋之竹嶋乃巡覽其地者彼有人焉名曰事勝國勝長狹天孫因問之曰此誰國歟對曰是長狹所住之國也然今乃奉上天孫矣 天孫又問曰其於秀起浪穗之上起八尋殿而手玉玲瓏織絍之少女者是誰之子女耶荅曰大山祇神之女等大號磐長姫少號木華開耶姫亦號豊吾田津姫云云皇孫因幸豊吾田津姫則一夜而有身皇孫疑之云云遂生火酢芹命次生火折尊亦號彥火火出見尊母誓已驗方知實是皇孫之胤然豊吾田津姫恨皇孫不與共言皇孫憂之乃爲歌之曰憶企都茂播陛爾播譽戻耐母佐禰耐據茂阿黨播怒介茂譽播磨都智耐理譽熛火此云裒倍喧響此云淤等娜比五月蠅此云左魔倍添山此云曾褒里能耶麻秀起此云左岐陀豆屢 」、【一書に、天忍穗根は、高皇産靈の娘の栲幡千千姫萬幡姫、または、高皇産靈の子の火の戸幡姫の子の千千姫という、を娶った。それで子の天の火明を生んだ。次に天津彦根火瓊瓊杵根を生む。その天の火明の子の天香山は、尾張連達の遠祖だ。皇孫の火瓊瓊杵を、葦原の中國に降して、高皇産靈は、八の十柱の諸神に「葦原の中國は、磐根・木株・草葉も、いまだにうるさい。夜は焚火の火花のようになり響き、昼は五月蝿の群れのようだ」と、云云。この時高皇産靈は、「昔、天の稚彦を葦原の中國に派遣した。今に至るまで長い間返事がないのは、きっと國神が、強固に防いでいるからか」と詔勅した。それで名がない雄雉を派遣して、探らせた。この雉が降って来て、粟田・豆田を見て、留って返らない。これが、世にいう、雉の頓使の由縁だ。それで、また名の無い雌雉を派遣した。この鳥は下り来って、天稚彦に射られて、その矢に当たり帰らなかった、云云。この時に、高皇産靈は、床に敷く寝具を、皇孫の天津彦根火瓊瓊杵根にまとい、天の八重雲おしわけて、降らせた。それで、この神を、天國饒石彦火瓊瓊杵という。その時に、降り到ったところを、日向の襲の高千穗の添山の峯という。そこに行った時に、云云。吾田の笠狹の御碕に到った。それで長屋の竹嶋に登った。それでそこを巡ると、そこに人がいた。事勝國勝長狹という。天孫は、「ここは誰の國だ」と問いかけた。「ここは長狹が住む國だ。しかし今は天孫に差し上げる」と答えた。天孫は、「その抜きんでてそそり立つ穗の波の上に、八尋の殿を建てて、手玉をよい音で鳴らして、経糸を織る少女は、誰の娘だ」と問いかけた。「大山祇の娘達で、姉が磐長姫という。妹を木花開耶姫という。またの名は豐吾田津姫だ」と答えた、云云。皇孫は、それで豐の吾田津姫を娶った。それで一夜で身ごもった。皇孫は疑った、云云。そして火酢芹を生んだ。次に火折を生んだ。またの名は彦火火出見。母の誓に験があった。良く分かって、ほんとうに、皇孫の子と。しかし豐の吾田津姫は、皇孫を恨んで話し合なかった。皇孫は憂いて、歌って(略)、熛火を「ほほ」という。喧響を「おとなひ」という。五月蝿を「さばへ」という。添山を「そほりのやま」という。秀起を「さきたつる」という。】と訳した。

一書()は火明が1代前に記述され、父の忍穂も弟の火瓊瓊杵も根国の王と記述し、大神の神話も素戔嗚の神話も合わさった神話になって、かなり後代の神話で、云々と常識の神話と同じ神話は云々で済ませ、自家の書き換えた神話を記述しているようだ。

香山の弟の宇摩志麻治が『舊事本記』に「橿原宮御宇天皇御世元爲足尼」、すなわち足尼になったと記述し、足尼は「ね」国を支配するという意味で、「ね」国王を示す表現で、根国というのは複数、氏族ごとにある。

子の彦湯支も木開足尼と木花開耶姫と関連し、「ね」国も氏族ごとに分国ができて、何人も「尼」が出来たので、尼の中の尼である大國王直属の尼の大尼が出現し、中心の神となり、その弟が大臣の出雲醜で、神を祀る物部の神大尼と、その神を中心とした国を治める国神の大臣を意味する。

『日本書紀』慶長版一書は一書()一書曰髙皇産靈尊之女天萬𣑥幡千幡姫一曰髙皇産靈尊兒萬幡姫兒玉依姫命此神爲天忍骨命妃生兒天之杵火火置瀬尊一曰勝速日命兒天大耳尊此神娶丹舄姫生兒火瓊瓊杵尊一曰神髙皇産靈尊之女𣑥幡千幡姫生兒火瓊瓊杵尊一云天杵瀬命娶吾田津姫生兒火明命次火夜織命次彥火火出見尊」、【一書に、高皇産靈の娘天萬栲幡千幡姫。

あるいは高皇産靈の子の萬幡姫の子の玉依姫という。この神は、天忍骨の妃になって、子の天の杵火火置瀬を生む。あるいは、勝速日の子の天の大耳。この神は、丹舄姫を娶って、子の火瓊瓊杵を生んだという。あるいは神皇産靈の娘の栲幡千幡姫が、子の火の瓊瓊杵を生んだという。あるいは、天の杵瀬は吾田津姫を娶って、子の火明を生んだ。次に火夜織。次に彦火火出見という。】と訳した。

  『日本書紀』慶長版一書は一書()一書曰正哉吾勝勝速日天忍穗耳尊娶髙皇産靈尊之女天萬𣑥幡千幡姫爲妃而生兒號天照國照彥火明命是尾張連等遠祖也次天饒石國饒石天津彥火瓊瓊杵尊此神娶大山祇神女子木華開耶姫命爲妃而生兒號火酢芹命次彥火火出見尊」、【一書に、

正哉吾勝勝速日天忍穗耳は、高皇産靈の娘の天萬栲幡千幡姫を娶って、妃にして子を生んだ。

天照國照彦火明と名付けた。尾張連達の遠祖だ。次に天饒石國饒石天津彦火瓊瓊杵。これは、

大山祇の娘の木華開耶姫を娶って、妃として、子を生む。火酢芹と名付けた。次に彦火火出見。】と訳した。

これらの一書のように、いくつもの国譲りがあり、幾人かの穗日・稚彦・忍穗・瓊瓊杵・千千姫・津姫・火闌降・火出見・火明が存在し、降った場所も、三穗や笠沙など、いくつもの氏族の祖とその子と孫たちが習合・合祀されて、一つの名前に統合されたり、征服者の王名を使用したりして、日本に定住した時から平郡氏が『日本書紀』を記述するまでの神話が記述されたと考えられる。

萬𣑥幡千幡姫が存在するように、やはり八百萬神はたくさんの神ではなく、萬という地域の神が証明され、瓊瓊杵の子達も2から4人と説話ごとに兄弟げんかの説話が有ったのだろう。

さらに、大国王も大王天皇と呼ばれるまで、一書()の大耳を初め大神・大尼・大臣・大連・大彦・大倭彦・大国主・大縣主・大倭根子・ 大足彦と支配者が変わるたびに官名が変わり、神や皇が日本の最高位の人物で、この人物には姓はなく、大神や天皇は大国の神が最高神で天の皇(神)が最高位の王だから大神・天皇と呼ばれ、皇祖が髙皇産靈で神祖は「日」で天(神)の子が天子だから日(神)の子が「日子」で、天子の子たちが天孫である。

「うし」を大人と表意文字に当てたのは、『山海經』の「大人國」を想定したと考えられ、大人國の王が「うし」で、大人は「ひじり」とも読ませ、日国の影響下の国と考えられ、大国建国説話の国引きで「三身」の綱を使用したと裏付けている。

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