2021年10月6日水曜日

最終兵器の目  『日本書紀』一書 第九段11

  『舊事本紀』前川茂右衛門寛永版は続けて「・・・高皇産靈尊更會諸神問當遣何神矣僉日天津國玉神子天稚彦是壯士也冝試也高皇産靈尊賜天稚彦於天之鹿兒弓天之羽羽矢而遣之此神亦不忠誠矣天稚彦降到其國娶大國玉神女下照姫便獲其國留住其國云吾欲馭守至于八年久不覆(?)也天照太神高皇産靈尊勑問諸神等日昔遣天稚彦於葦原中國至今所以久不來者盖是國神有?()禦之者我亦遣何神問天稚彦逗留之所由也思兼神諸神荅日可遣無名雉亦因遣無名雉鳩而往就之此雉亦鳩降來見粟田豆田則留而返是所謂雉頓使亦豆見落居鳩是其縁矣高皇産靈尊覆勅問先遣無名雉鳩遂覆命亦遣何神耶思兼神諸神告白可遣雉名鳴女矣故覆造無名雌也高皇産靈尊詔曰汝行問天稚彦迄八年不覆(?)之由矣故鳴女自天降到副居於天稚彦門之湯津楓樹乃抄而鳴云天稚彦何故迄于八年未有覆命于時有國神天探女聞此雌鳴言而謂天稚彦言鳴聲悪鳥在此樹上可射殺云天稚彦持天神賜弓矢便射其雉之時矢逹雌(?)逆射上逮坐天安河之河原天照太神高皇産靈尊御前矣高皇産靈尊取其矢見者矢羽着血即日此矢者昔我賜天稚彦之矢也今何以故着血而來也若國神相戦歟即示諸神等咒日若以悪心射者天稚彦必當遭害若以乎心射者不中天稚彦即取其矢自空返下者其矢落下中天稚彦高(?)而死矣世人所謂返矢者可畏是其縁也・・・」、【高皇産霊は、さらに諸神を集めて「誰を派遣すべきか」と問いかけた。「天の津の国玉の子の、天の稚彦が立派です。試してみては」と言った。高皇産霊は、天の稚彦に天のかご弓と天のはは矢を持たして、派遣した。しかし、また忠実でなかった。天の稚彦は、その国に降り着いて、大国主の娘の下照姫を妻とし、また、その国を得ようと留った。八年たっても復命しなかった。天照太神と高皇産霊は、諸神たちに「昔、天の稚彦を葦原の中国に派遣したが、いまに至るまで戻らないのは、国神のなかに邪魔者がいるからだろう。私はまた、だれを派遣して、天の稚彦が留まる理由を調べようか」と問うた。思兼や諸神は「名無しの雉か、鳩を派遣すべきだ」と答えた。それで、名無しの雉と鳩を派遣した。この雉と鳩は降り、粟の田や豆の田を見て、留まって帰らなかった。これがいわゆる『雉の急ぎ使い』または『落ちた豆みて居る鳩』という由縁だ。高皇産霊が、「前に名無しの雉と鳩を派遣したが、復命しなかった。今度は誰を派遣しようか」とまた問いかけた。思兼や諸神は「鳴く女という雉を派遣すべきだ」と言い、名無しの雌の雉を派遣した。高皇産霊は「おまえが行って、天の稚彦が八年も戻らず復命しない理由を問え」と言った。そこで、鳴女は天から降って葦原の中国に着いて、天の稚彦の門の湯津楓の木の梢にとまり、「天の稚彦、どうして八年もの間、復命しない。」と鳴いていった。このとき、国神の天探女がこの雌雉のいうことを聞いて、天の稚彦に「うるさく鳴く鳥が木の梢にいる。射殺しよう」といった。天の稚彦は天神から賜った弓矢をとって、雉を射殺した。その矢は雉の胸を貫通して、射上がって、天の安河の河原にいる天照太神と高皇産霊の前に届いた。高皇産霊がその矢をとってみると、矢の羽に血がついていた。それで仰せになった。「この矢は昔、私が天の稚彦に与えた矢だ。どういう訳か血が付着して戻ってきた。きっと国神と闘ったのだろう」と言って諸神に見せ、「もし、邪心で射たのなら、天の稚彦はきっと傷つくだろう。もし、そうでなかったら、天の稚彦には当たらない」とまじない、空から返し下したら、その矢は落下して、天の稚彦の胸に当たり、稚彦は死んだ。世の人が『返し矢は恐ろしい』というの由縁だ。】と訳した。

『古事記』前川茂右衛門寛永版は続けて「・・・是以高御産巣日神天照大御神亦問諸神等所遣葦原中國之天菩比神久不復奏亦使何神之告尓思金神荅白可遣天津國玉神云子天若日子故尓以天之麻迦古弓天之波々矢賜天若日子而遣於是天若日子降到其國即娶大國主神之女下照比賣亦慮獲其國至于八年不復奏故尓天照大御神高御産巣日神亦問諸神等天若日子久不復奏又遣曷神以問天若日子之淹留所由於是諸神及思金神荅白可遣雉名鳴女時詔之汝行問天若日子状者汝所以使葦原中國者言趣和其國之荒振神等之者也何至于八年不復奏故尓鳴女自天降到居天若日子之門湯津楓上而言委曲如天神之詔命尓天佐具賣聞此鳥言而語天若日子言此鳥者其鳴音甚悪故可射殺出進即天若日子持天神所賜天之波士弓天之加久矢射殺其雉尓其矢自雉胸通而逆射上逮坐天安河之河原天照大御神高木神之御所是高木神者高御産巣日神之別名故高木神取其矢見者血著其矢羽於是高木神告之此矢者所賜天若日子之矢即尓諸神等詔者或天若日子不誤命爲射悪神之矢之至者不中天若日子或有邪心者天若日子於此矢麻賀禮云而取其矢自其矢穴衝返下者中天若日子寝胡床之高胸坂以死亦其雉不還故於今諺曰雉之頓使本是也・・・」とあり、多くが同じで、『舊事本記』には名無しの雉や鳩の説話が追加されていて、『古事記』は高御産巣日を途中から高木神に変更している。

『舊事本記』も『古事記』も稚彦を送り、稚彦の父の国玉は大国玉神、これは、大国主が顕見国玉とも呼ばれ、『古事記』・『舊事本記』は大国主の娘の下照姫を妃にし、稚彦は大国主が父で、『古事記』は大国主を亦の名で「宇都志國玉」、『日本書紀』は「顯國玉之女子下照姫」と記述する。

すなわち、稚彦の父の国玉の意味は義父大国主の顯國玉が父と呼んでいて、『舊事本記』は下照姫が「坐倭國葛󠄀上郡雲櫛社」と葛󠄀上郡で祀られていると記述し、すなわち、若狭の王と思われる稚彦は大国丹波の王に婿入りしたから若狭王になったと述べている。

以前、高皇産霊が「日」国王配下の高神を意味したことを述べたが、そう考えると、高木の木は神を意味し、高という地域に住む「木」国王と考えても良さそうで、丹波の大国・若狭の若国に侵略しようとする、「八」洲国の野洲に配下を集めて、神が天照で王の高木は、以前述べたように、木津辺りの木国王と考えるのが妥当だ。

神話はこのように名前を変えることで、異なる地域の説話に変化させ、支配した王が支配された王と同じだと言って、被支配者を纏めていったと考えられ、ここでは、葛󠄀上郡の顯國王が大国を支配し、顯國王の「宇都志國玉」が大国主になったと述べ、長髓彦と想定される武埴安彦の祖父は河内青玉繋で顯國玉を類推させ、埴安媛が下照姫を類推させ、この神話の部分は畿内の崇神天皇に至るまでの欠史8代の神話と考えられる。

0 件のコメント:

コメントを投稿