2021年10月20日水曜日

最終兵器の目  『日本書紀』一書 第九段17

  『舊事本紀』前川茂右衛門寛永版は続けて「・・・高皇産靈尊勑日吾則起樹天津神籬乃天津磐境於葦原中國亦爲吾孫奉齋之矣乃使天太玉天兒屋二神陪従天忍穂耳尊以降之時天照太神手持寶鏡授天忍穂耳尊而祝之日我兒視此寶鏡當猶視吾可與同床共殿以爲齋鏡寶祚之際當與天壌無窮矣則授八坂瓊曲玉及八咫鏡草薙劔三種寶物(?)爲天璽矛玉自従矣詔天兒屋命天太玉命日惟爾二神亦同侍殿内善爲防護焉詔天鈿賣命同使配侍焉詔日常世思金神手力雄命天石門別神云此鏡者専爲我御魂如拜吾前奉齋矣次思金神者取持前事爲政此二神者拜祭佐登斯侶五十鈴宮次豊受神 此坐外宮之渡會神次天石戸別亦名櫛石窓神亦日神石窓神此神者御門之神次手力雄神 此者坐佐(?郎・那)之縣也次天兒屋命中臣上祖次天太玉命忌部上祖次天鈿賣命猨女上祖次石凝姥命鏡作上祖次玉祖屋命玉作上祖巳上五部伴領神使配侍焉次大伴連遠祖天忍日命帥來目同部遠祖天槵津大來目背負天磐靫臂着稜威髙鞆手授千梔弓天羽々矢及副持八目鍴又帯頭槌劔而立天孫御前爲先駈者也詔日吾則起樹天津神籬及天津磐境當爲吾孫奉齋矣詔日天兒屋命天太玉命二神冝持天津神籬於葦原中國亦爲吾孫奉齋也詔亦日惟尓二神共侍殿内能爲防護冝以吾高天原(?)御齋庭之穂稻種亦當御於吾兒矣冝天太玉命率諸部神供奉其軄如天上儀仍令諸神亦共陪従矣詔大物主神冝領八十萬神永爲皇孫奉護矣」、【高皇産霊が「私は葦原の中国に天の津の神座と天の津の磐の垣根を建てて、孫のために身を清めて祭ろう」と言った。そうして、天の太玉と天の児屋の二柱を、天の忍穂耳につき従わせて降らせられたときに、天照太神は、手に宝鏡を持って、天の忍穂耳に授けて、祝って「わが子がこの宝鏡を見るということは、私を見ることだ。床を共にし、同じ部屋で、身を清める鏡だ。皇位継承は天地が永遠と同じだ」と言った。それで、八坂瓊の勾玉・八咫の鏡・草薙の剣の三種類の宝物を授けて、永く天孫の璽とした。玉は、鏡と剣に添えられた物だ。天の児屋と天の太玉に「お前たち二柱は、一緒に同じ御殿で仕えて警護しなさい」と言った。詔勅で天の鈿売も同じく仕えさせた。常世の思金、手力雄、天の石戸別に言った。「この鏡は、ただ私の魂と思って、私を拝むように身を清めて祀れ。次に、思金は前の政権ととりなして執務を行いなさい」と言った。この二神は、五十鈴宮に祀っている。次に豊受は、外宮の渡会にいる神だ。次に天の石戸別は、またの名を櫛石窓、または豊石窓と言う。この神は、門を守る神だ。次に手力雄は、佐那県にいる神だ。次に天の児屋は、中臣の遠祖だ。次に天の太玉は、忌部の遠祖だ。次に天の鈿売は、猿女の遠祖だ。次に石凝姥は、鏡作の遠祖だ。次に玉祖屋は、玉作の遠祖だ。以上の部の伴を率いる5神を仕えさせた。次に、大伴連の遠祖の天の忍日は、同じ来目部の遠祖の天の櫛津の大来目を率いて、背に天の磐靫を負い、臂には稜威の高鞆をつけて、手には天の杷弓と天の羽々矢をとって、八つ目の鏑矢を取りそえ、また頭槌の剣を帯びて、天孫の前に立ち先駆けとなった。高皇産霊は「私は天の津の磐で囲った神座をつくり、わが孫のために身を清めて祭ろう」と言った。「お前たち、天児屋命と天太玉命の二神は、天の津の神座を持って葦原の中国に降り、また、わが孫のためにつつしみ祭りなさい」また天の兒屋と天の太玉に「お前たちは、一緒に御殿の中で仕えて、守ってほしい。高天の原にある、我が子の為に浄められた庭の稲を種としなさい。天の太玉は部下を率いて、その職責を果たしてほしい」と言った。それで、諸神に、一緒に随行させた。大物主に「八の十の万神を率いて、永く皇孫を守ってほしい」と言った。】と訳した。

「三種寶物」は『日本書紀』で、八尺瓊勾玉は「大中姫命授物部十千根大連」と垂仁八七年まで朝廷が持っていて、それ以降石上神宮に移り、八咫鏡は「曰神夏磯媛」が「賢木以上枝挂八握釼中枝挂八咫鏡下枝挂八尺瓊」と景行十二年に熊襲が持っていて、草薙釼は「倭姫命取草薙釼授日本武尊」と景行天皇四〇年に記述され、これらは天文学的日干支と合致している。

すなわち、景行天皇四〇年以前には、「三種寶物」は物部朝廷の宝庫の石上神宮に収納されていないので、まだ天皇の「天皇之璽」では有り得ず、『舊事本記』にも、繼體天皇の時に「鏡劔璽符」と「三種寶物」が揃う。

それ以前は、神武天皇は「天璽瑞宝」、允恭天皇は「天皇之璽」・「天皇璽符」で、火瓊瓊杵は天璽の鏡劔と璽・鏡・劔を別のもの、天富も天璽剱と鏡を神宝にしておらず、神武天皇の、「天璽瑞宝」は「天璽瑞宝十種天神御祖詔授天璽瑞寶十種謂贏都鏡一邊都鏡一八握劔一生玉一死反玉一足玉一道反玉一蛇此禮一蜂此禮一品物此禮一是也」と記述され、「三種寶物」とは別物である。

すなわち、天皇の璽の3種の神器は雄略天皇以降に揃ったもので、『古事記』は「天津瑞」、『日本書紀』は「天璽瑞宝」と鏡や剣は無く、『舊事本記』は「天璽瑞寶十種」と10種を神武天皇が受け取って、最初の『日本書紀』と『古事記』の継体以前に3種の神器が登場しないのだから、継体天皇の時に揃ったことが解り、巨勢朝廷と倭国蘇我朝廷と秦国物部朝廷が合体して秦王国となった時に3種の神器となったと考えられる。


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