2021年10月11日月曜日

最終兵器の目  『日本書紀』一書 第九段13

  『舊事本紀』前川茂右衛門寛永版は続けて「・・・天照太神詔日亦遣曷神者吉矣思兼神及諸神僉日坐天安河上天窟稜威尾羽張神是可遣否若且非此者其神之子武甕雷男神可遣其天尾羽張神者逆塞上於天安河之水而塞道居故他神不得行故則遣天迦具神可問故尓使天迦具神問尾羽張神之時荅白之供奉然於此道者(?)子武雷神可遣乃貢進矣高皇産靈尊更(?)諸神選當遣於葦原中國者僉日磐裂根裂之子磐筒男磐筒女所生之子經津主神是將佳也于時天窟所住之神稜威雄走神之子武甕槌神進日唯經津主神獨爲丈夫而吾非丈夫者哉其辞氣慷慨故即配經津主神而造之一云天鳥舩神副武甕槌而造也天照太神高皇産靈尊造(?)經津主神武甕槌神先行駈使除使乎定於葦原中國之時二神日天有惡神名日天津甕星亦名天香々背男請先誅此神然後降撿於葦原中國是時齊主神號齊之大人此神今在東國擑取地・・・」、【そこで天照太神は「また、どの神を派遣したらよいだろうか」と言った。思兼神および諸神が「天の安河の川上の天の岩屋においでになる、稜威尾羽張を派遣すべきだ。この神でなければその子の武甕雷を派遣すべきだ。天の尾羽張は、天の安河の水が逆流しないように堰を築き道を塞いでいる。そのため、よそ者は行く事ができない。特別に天の迦具を派遣して、尋ねさせましょう」と口をそろえて言った。そこで、天の迦具を派遣して、尾羽張に聞いた。その時答えて申しあげた。「仕えましょう。しかし、今度は、私の子の武雷を派遣しましょう」と答え、差し出した。高皇産霊は、さらに諸神を集めて、葦原の中国に派遣する者を選んだ。「磐裂根裂の子で磐筒男・磐筒女が生んだ子の、経津主を将軍にするとよい」と皆が言った。その時、天の岩屋に住む稜威雄走の子の武甕槌が進んで申しあげた。「どうして経津主だけがりっぱで、私は違うのか」と進言した。その語気が激しかったので、経津主と一緒に武甕槌を派遣した。ある説によると、天の鳥船を武甕槌に従わせた。天照太神と高皇産霊は、経津主と武甕槌を派遣し、先行して討たせて、葦原の中国を平定しようとしたときに、二柱が「天に裏切者がいます。名は天の津の甕星だ。またの名を天の香々背男だ。どうか、先に誅殺して、その後、葦原の中国に降って平定したい」と言った。このとき、斎主を、斎の大人といった。これは、いま東国の楫取の地にいる。】と訳した。

『古事記』前川茂右衛門寛永版は続けて「・・・是天照大御神詔之亦遣曷神者吉尓思金神及諸神白之坐天安河河上之天石室名伊都之尾羽張神是可遣若亦非此神者其神之子建御雷之男神此應遣且其天尾羽張神者逆塞上天安河之水而塞道居故侘(イ它)神不得行故別遣天迦久神可問故尓使天迦久神問天尾羽張神之時荅白恐之仕奉然於此道者僕子建御雷神可遣乃貢進尓天鳥舩神副建御雷神而遣・・・】とある。

『古事記』は建御雷が建布都を亦の名で記述するが、経津主とは時代が異なると思われ、『舊事本記』も別人とし、武甕雷が「石上布都大神」、尾羽張は「天安河上天窟之神」と野洲に祀られ、畿内の説話で合致する。

『舊事本記』はさらに、經津主が「坐下総國香取大神」と記述し、関東は倭建が遠征するまで、領地ではなく、「主」の官位が『三国志』の「爾支」と同時代であることが解る。

この項では「主」の古形の「大人」が記述され、『日本書紀』には穂日の子の「大背飯三熊之大人亦名武三熊之大人」と、『日本書紀』が『山海經』の大人国を想定して主を「大人」としたと考えられ、『舊事本記』は時代背景が矛盾した説話を結び付けていることが解り、『日本書紀』の神話や『古事記』の神話などを、時間を超越させて記述したことが解り、『日本書紀』の神話の記述方法を倣ったようだ。

神話の順は『舊事本紀』の大神君の野洲から安芸、『古事記』の劔根・高倉下の野洲から畿内、『舊事本記』の石上布都大神・倭建の畿内から香取である。

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