『舊事本紀』前川茂右衛門寛永版は饒速日の降臨を後段に回して「天照太神謂豊葦原千秋長五百秋長之瑞穂國者我御子正哉吾勝々速日天押穂耳尊可王之地詔賜而天降之時於天浮橋立而臨?(睨?日+児)之日豊葦原之千秋長五百秋之瑞穂國者猶聞喧擾之響彼地未平矣不須也頗凶目杵之國歟乃更還登覆於上天具陳不降之狀也高皇産靈尊召集八百萬神於天八湍河之川原而問思兼神以天照太神詔日此葦原中國者我御子可知之國詔賜之國也而吾以爲多有道速振荒振國之神覆磐根水株草之垣葉猶能言語夜者若?(樮 木火逆)螢火而喧響之晝者如五月蝿而沸騰之今欲令撥平於葦原中國之邪鬼當造誰者冝也是何神遣使將言趣矣思兼神八百萬神僉日天穂日命可遣此神之傑也即随衆言遣天穂日命徃平之然此神媚附於大巳貴神此及三年尚不覆命矣・・・」、【天照太神は「豊の葦原の千秋長五百秋長の瑞穂の国は、我が子の正哉吾勝勝速日の天押穂耳が統治すべき国だ」と言い、命令して、天から降らせようとしたとき、天の押穂耳は、天の浮橋に立ち、臨み見て「豊葦原の千秋長五百秋の瑞穂の国は、まだ騒がしくて、平定されていない。とても厳しい国だ」。そこで、再び帰って、詳しく事情を言った。高皇産霊は八の百の万神を天の八の湍の河に集めて、思兼に「天照太神が詔勅して『この葦原の中国は我が子が支配すべき国である』と詔勅した国だ。それなのに、多くの素早く荒々しい国神がいる。また、岩や草木も進軍に邪魔だ。夜は蛍火のように照らし、昼は蠅のように騒ぐ神がいる。葦原の中国の悪い神を平定しようと思うが、誰を派遣したらよいだろう。どの神を派遣して平定すべきだ」と尋ねた。思兼と八の百の万神は「天の穂日を派遣するべきです。とても勇ましいです」と言った。みなが言うように、天の穂日を平定させようと派遣した。しかし、大己貴におもねって、三年たっても復命しなかった。】と訳した。
『古事記』前川茂右衛門寛永版は続けて「天照大御神之命以豊葦原之千秋長五百秋之水穂國者我御子正勝吾勝々速日天忍穂耳命之所知國言因賜而天降也於是天忍穂耳命於天浮橋多々志而詔之豊葦原之千秋長五百秋之水穂國者伊多久佐夜藝弖有那理告而更還上請于天照大神尓高御産巣日神天照大御神之命以於天安河之河原神集八百万神集而思金神令思而詔此葦原中國者我御子之所知國言依所賜之國也故以爲於此國道速振荒振國神等之多在是使何神而將言趣尓思金神及八百万神議白之天菩比神是可遣故遣天菩比神者及媚附大國主神至于三年不復奏・・・」とあり、内容はほゞ同じだが、「瑞穂」と「水穗」、「八湍河」と「安河」、「大己貴」と「大國主」が異なり、『舊事本記』は岩や草木も国神に含めている。
この神話は『舊事本記』が「湍(たん・はやせ)」と「瑞(すい・みず)」を混同して宗像の神の辺津嶋姫を「瑞津嶋姫」・「湍津嶋姫」で「たぎつ」の「たぎる」は「激しく波立つ 」意味で「湍」と「瑞」も表意文字となっている。
すると、「八湍(やた)河」と「安(やす)河」は全く意味が異なり、『古事記』の「安河」は神話と異なる地域の神話と理解でき、「八洲」国が「大國主」を退位させようとした神話と『舊事本記』は「八」国に支配された宗像の神が大己貴の支配する所に侵略しようとしていることを示している。
宗像の神が侵略しようとする国は豊国の安芸で、安芸を支配する王は草木や石が兵士の『日本書紀』の最初に生まれた『山海經』の「女祭」の草野姫の国を支配していたようで、すなわち、「衣冠帶劍」の丈夫国宗像のすぐ南の、「兩水閒」と半島にあり、その南は、陰陽の神が支配し、「天與帝爭神」と黄海の王達と争う「奇肱之國」があり、伊弉諾・伊弉冉のモデルとなった国で、そして、穂日が安芸の王の配下になって穂という地域の王の「日」になったと記述した。
すなわち、『日本書紀』は丈夫国の神話を元にし、『古事記』は君子国の神話が基になっていて、そうすると、『舊事本紀』は大人国の神話を基にした神話の可能性がある。
『山海經』に出現する冠を被った王国はこの3国なのだから、この仮説は十分検討に値し、この神話を基に各氏族がその神話を流用して最終的にこれら3史書と一書群が記述されたと考えられる
0 件のコメント:
コメントを投稿