2021年10月18日月曜日

最終兵器の目  『日本書紀』一書 第九段16

   『舊事本紀』前川茂右衛門寛永版は続けて「・・・于時經津主神武甕槌神還昇於天覆命之時高皇産靈尊乃還遣經津主武甕槌二神勑大巳貴神日今如聞汝之所言深有其理故處條而勑之矣夫汝之(?)治顕露之事者吾孫冝治汝則可治幽神之事矣覆汝之應住天之日隅宮者今當共造即以千尋拷縄結爲即八十紉覆其造宮之制者柱則髙大板則厚廣覆優將田地佃供祭所請農穀茂實矣覆爲汝往來遊海之具高橋浮橋及天鳥舩亦將供造矣覆於天之安河之造打橋矣覆供造百八十縫之白楯矣覆當主汝祭祀者天穂日命也大巳貴神報日天神詔敎慇懃如此不敢従命也吾(?)治顕露事者皇孫當治吾退治幽神事也乃薦岐神於二神日是當代我而奉従矣吾將自此避去即(?)被瑞之八坂瓊而長隠者矣經津主神以岐神爲御導周流削乎有逆命者而加斬形刑矣歸順者因加裒美矣是時歸順之首渠者大物主神及事代主神乃合八十万神於天髙市帥以昇天陳其誠疑之至時高皇産靈尊詔大物主神汝若以國神爲妻者吾猶謂汝有䟽心故今以吾女三穂津姫命配汝爲妻冝領八十万神(?永:ム+)爲皇孫奉護乃使還降矣以紀伊國忌部遠祖手置帆負神定爲作笠者以彦狹知神爲作盾者以天日一筒神爲作金之者以天日鷲神爲作木綿者以櫛明玉神爲作玉者使天太玉命以弱肩被太手(?)而代以御手以祭此神者始起於此矣且天兒屋命主神事之宗源者也故(?)以太占之卜事而奉仕焉・・・」、【復命した時、高皇産霊は、経津主と武甕槌の二柱を再び派遣して、大己貴に「いま、お前がいうことを聞いたが、とても理にかなっている。それで、 条件だが、お前が今治めている事は、わが孫に治めさせる。お前は見えないところで治めなさい。また、お前の住むべき天の日隅宮をすぐに一緒に造ろう。それは、千尋もある打ち縄で結んで、その縄を八十つなぎ合わせ、また、その宮を造る方法は、柱を太くて高く、板を広く厚くしよう。また、豊かな田地直営地をつくって供えて祭り実り多いことを願おう。また、お前が行き来して海を歩くために、高い橋や浮き橋や鳥のようにはしる船を造って供えよう。また、天の安河に取り外しが出来る橋を造ろう。また、いく重にも縫い合わせた白楯を造ろう。また、お前を祀る主は、天の穂日だ」と詔勅した。大己貴神が「天神の導く詔勅は、こんなに丁寧だ。従わないはずがない。私が治める目の前のことは、皇孫が治められるべきでだ。私は退いて、見えない神を治めよう」と答えた。それで、岐神を勧めて、経津主と武甕槌に「この者が私に代わって従います。私はここから去ろう」と言った。そして、体に瑞の八坂瓊をつけて、長い間隠れた。それで、経津主は、岐神の導きで、方々をめぐって領地を削いだ。従わない者は、斬り殺した。帰順した者には褒美を与えた。このときに帰順した首領は、大物主と事代主と八の十の万神を、天の高市に集めて、この神々を率いて天に昇り、誠実かどうかを疑って高皇産霊が大物主に「お前がもし、国の王女を妻とするなら、私はお前がなおうとおしく思っていると思う。だから、いま私の娘の三穂津姫をお前に娶わせて妻として八の十の万神達を率いて、永く皇孫を守れ」と詔勅してまた降し返した。それで紀伊の国の忌部の遠祖・手置帆負を笠作りにした。彦狭知を盾作りにした。天目一筒を鍛冶にした。天日鷲を布作りにした。櫛明玉を玉作りにした。天太玉の弱々しい肩に太い襷をかけさせて、代わりに、この神を祀らせるのは、ここから始まった。また、天児屋は神事を掌る最初だ。それで太占の卜いをさせた。】と訳した。

我々は、天孫が大国主から国譲りで支配者交代したと考えているが、『舊事本紀』を読む限り、大国主が天孫に将軍の象徴の杖の広矛を与え仲国を征伐させ、大国主は朝廷を開いて、皇太子の事代主が就任し、なか国の王の大物主に三(神)穂女王を与えたと理解できる。

大物主は『古事記』の神武天皇の義父だが、『日本書紀』では崇神天皇に出現し、この日干支「二月丁丑朔」は天文学的に正しくて信頼でき、武甕槌の出自とも合致し、この時に天児屋が「なか」国の王、中臣になったと考えられる。

この説話から、三国王(君主国)の高皇産霊の子の天穂日が大国(大人国)の大己貴・野洲国の事代主、出雲を中心にした仲国の大物主を滅ぼして、大物主を三国王の元に移住させた事を示し、天穂日の子孫の出雲臣の娘の沙麻奈姫と高皇産霊の子孫の建飯勝の子が建甕槌、大田田祢古の父で建甕槌の曽孫の大物主、大物主の母が大倭國民磯姫なので、民磯姫の家系が三穂津姫の家系で大物主を継承していたと考えられ建甕槌の時代の説話である。

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