2019年5月6日月曜日

最終兵器の目 天孫降臨2

 『日本書紀』に対して『古事記』 前川茂右衛門 寛永版は「高木神之女萬幡豊秋津師比賣命生子天火明命次日子番能迩々藝命也」と「髙皇産靈」が「高木」で娘は「𣑥幡千千姫」と「萬幡豊秋津師比賣」と娘が違うのだから父親も違い、皇子も違うのは当然で、安芸の姫の子が「迩々藝」で「火明」は安芸に残り、「迩々藝」が天降った。
すなわち、『日本書紀』の神話と『古事記』の神話は同じ天降りを記述していても主語が違う、すなわち、別人の神話を述べた、同床異夢の話で、『古事記』の「高木」と「萬幡豊秋津師比賣」の説話が『日本書紀』の中に名前を変えて「髙皇産靈」と「𣑥幡千千姫」を時代を変えて記述しているわけだ。
『舊事本紀』前川茂右衛門寛永版は皇子「正哉吾勝々速日天押穂耳」・皇祖「髙皇産霊」皇女「女栲幡千々姫万幡姫」皇孫「兄天照國照彦天火明櫛玉饒速日」・「弟天饒石國饒石天津彦々火瓊々杵」で「瓊々杵」が「饒速日」のような役職名が記述され、「猿女君」の「鈿売」や「猿田彦」説話等の葛城氏や物部氏の古くからつながりのある氏族の説話を入れ込み、既に6世紀以降の人々には「八国」の歴史が理解できず16㎝の「八国」の咫鏡を1.5mと理解し化け物の神話を作り上げた。
すなわち、紀元前には咫が16㎝、尋が1mという単位が出来上がっていて、それが、忘れ去られて6世紀に14m近い怪物で目が1.5mもあると記述しているのであり、降臨の地も九州のほとんどを占める三身国が筑紫ではない。
筑紫は筑紫国で福岡県が降臨地と6世紀以降の人々は理解していたが、実態は『日本書紀』と背景は同じで、対馬の説話を日向国の説話に置き換えたもので、海人は船という交通手段を利用して、全国を回って子を成し、海人の説話が全国に行きわたり、その説話を現地の氏族に接合されるのである。
それを示すように『古事記』前川茂右衛門寛永版に「大山津見神之女名神阿多都比賣亦名謂木
花之佐久夜毘賣又問有汝之兄弟乎荅白我姉石長比賣在・・・其姉者因其凶醜見畏而返送唯留其弟木花之佐久夜毘賣以一宿爲婚・・・妾妊身今臨」と「阿多都比賣」説話が「木花之佐久夜毘賣」説話に挿げ代わっている。
また『古事記』前川茂右衛門寛永版も「天津久米命於是詔之此地者向韓國真米(?來)通笠沙之御前而朝日之直刺國夕日之日照國也故此地其吉地詔而於底津石根宮柱布斗斯理於高天原」と九州から200Km先の韓国に真っすぐの道は不可思議だが、50Km程度なら岡に登れば韓国が良く見え、実情に良く当てはまり、久米氏の出身も対馬であることが解る。
『舊事本紀』前川茂右衛門寛永版は、「大号磐長姬少号木花開姬亦名豐吾田津姬亦名鹿葦津姬矣」と「吾田津姬」は豊国の姫と記述して豊の安芸の「可愛」山に「瓊々杵」を葬った説話に符合する。
また、『日本書紀』慶長版の「瓊瓊杵」の子「火闌降」・「彥火火出見」・「火明」に対して、『古事記』 前川茂右衛門 寛永版は「生之子名火照命次生子名火須勢理命次生子御名火遠理命亦名天津日高日子穂々手見命」、『舊事本紀』前川茂右衛門寛永版は「吾是天神之子者火明命・・・名火進命・・・名火折尊・・・名彦火火出見尊」としている。
『舊事本紀』の「火明」は「押穂耳」の子と同名で、これは、長男の襲名と考えられ、「速」国の嫡流が「火明」で、「饒速日」は実際は分家だが嫡流と主張し、『古事記』は分家としているが、分家というのは既に王家の人物ではなく、婿入り先の王家とは別物で、血のつながりがあると言うだけのことで、『日本書紀』の本家は「火闌降」、『古事記』は「火照」が本家だと述べている。
もちろん、実際の天孫降臨は「大国」や「火国」に支配されていた「海人」で「大国」の配下の「押穂耳」の子「火瓊瓊杵」が「火国」に婿入りして、「火国」の配下になり「火火出見」が生まれたということである。

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