2019年5月17日金曜日

最終兵器の目 日本書紀巻第三 神武誕生

  『日本書紀』慶長版は
彥波瀲武鸕鷀草葺不合尊以其姨玉依姫爲妃生彥五瀬命次稻飯命次三毛入野命次神日本磐余彥尊凡生四男久之彥波瀲武鸕鷀草葺不合尊崩於西洲之宮因葬日向吾平山上陵神日本磐余彥天皇諱彥火火出見彥波瀲武鸕鷀草葺不合尊第四子也母曰玉依姫海童之小女也天皇生而明達意礭如也年
【彦波瀲武草葺不合尊はその姨の玉依姫を妃として、彦五瀬命を生む。次に稻飯命。次に三毛入野命。次に神日本磐余彦尊。すべて、四男を生む。その後、彦波瀲武草葺不合尊西洲の宮に崩じたので日向の吾平山の上の陵に葬った。神日本磐余彦天皇は諱を彦火々出見という。彦波瀲武草葺不合尊の第四子だ。母は玉依姫と言い、海童の少女である。天皇は生まれながらにして聡明で道理をわきまえ意思が磐が水流をはじくようにしっかりして揺るぎが無い。】とある。
「彥波瀲武鸕鷀草葺不合」は先代の「彥火火出見」と「彦」の地位を継承していて、最高位の王に役職名は不要で、内容のみならず、系図も王家の火闌降・火明命に火火出見を付け足し、子の磐余彦が彦火々出見を襲名していることから「彥波瀲武鸕鷀草葺不合」は「彥火火出見」の嫡男では無かった可能性があるが、それでも、彦の前に地域名が付加されないのだから、彦の中の彦の可能性がある。
そして、やはり、磐余彦も王家の稻飯と分家の三毛入野に付加して彦五瀬とともに王家の系図に付加されていて、『舊事本紀』前川茂右衛門寛永版は
彦波瀲武鸕鷀草葺不合尊天孫彦火々出見尊弟三子兒也 亦云火芹尊也母曰豐玉姬命海童之大女也・・・弟玉依姬命立爲皇妃・・・誕生四御子矣兒彦五瀨命次稻飯命三毛野命次磐余彦命磐余彦命 天孫彦波瀲武鸕鶿草葺不合尊第四子母曰玉依姬・・・神武天皇・・・諱神日本磐余彦天皇亦云彦火火出見尊即少年時号狭野尊也母曰玉依姬海童少女也天皇
「兒火明命 次火進反命 次火折命 次彦火々出見尊」とされていた系図が「三子兒也 亦云火芹尊」と四子目が三子目になって三・四子が合体された同一人物で、さらに諱が交替して既に隠すべき名前ではなくなり、更に新しい狭野尊の名前も付加された。
『古事記』前川茂右衛門寛永版は
天津日高日子波限建鵜葺草不葺合命娶其姨玉依毘賣命生御子名五瀬命次稲冰命次御毛沼命次若御毛沼命亦名豊御毛沼命亦名神倭伊波禮毘古命故御毛沼命者
と、「天津日高日子番能迩々藝」・「天津日高日子穂々手見命」・「天津日高日子波限建鵜葺草不葺合」のように「天津」の「日高」の「日子」と「彦」の中の「彦」の地位が『三国志』の「特置一大率檢察諸國畏憚之常治伊都國」でいう「一大率」の可能性がある。
『古事記』と『日本書紀』の背景は共に葛城氏の家系の王が記述しており、『古事記』が遠慮して下位の地位に貶める必要が無く、自家の史書にはさらに皇子に「伊波禮毘古」以外は役職が付かず、五瀬・稲冰と同列に御毛沼を記述して、神武天皇にはこの3名の人物を記述し、御毛沼も「若」国の「御毛沼」と「豊」国の「御毛沼」の内容を併せて記述したと述べているのだ。
そのことから、『舊事本紀』の「狭野」は物部氏の史書の神武天皇で、神武東征時に「紀伊國竈山」→「名草」→「狹野」→「熊野」と経過地を述べて「高倉下」の説話を記述しており、物部氏と共に王朝を立ちあげた「尾張氏」の神武天皇の可能性がある。
『舊事本紀』と『日本書紀』は朔の日干支を記録した2王朝の王を中心に、それ以上の王家の王が初代の神武天皇を始め何代もの天皇に複数の王を記述している。
例えば、これから述べる神武天皇は時代も名前も異なる人物を、しかも、長男相続は一人の天皇として記述し、その前例は、大国主が大物主などを含めた複数の神を一緒くたにしていて、本来異なる、別々の土地の別々の時代の神様を一人の神様と扱うように記述した。
それと同じことが天皇にも応用されていて、神武天皇も「大和」、「なか国」、「京都郡」、「筑紫」の初代王親子のことを、特に、大和への侵略は複数の王朝の複数の時代の神武天皇を記述していて、それは当然で、『日本書紀』は畿内が中心の朝廷史だからである。

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