2019年5月13日月曜日

最終兵器の目 海幸・山幸3

 『日本書紀』に対して『古事記』前川茂右衛門寛永版は
塩椎神云我爲汝命作善議即造无間勝間之小舩載其舩以教曰我押流其舩者差暫往將有味御路乃乗其道往
と籠が、船変化し、流れに逆らって漕いだ後言われた場所に行くと自然に流れに乗って目的地に到着するとし、続けて『古事記』前川茂右衛門寛永版は
一尋和迩白僕者一日送即還來・・・其一尋和迩者於今謂佐比持神也
と操船が上手い1mある和迩神を祀る大男の佐比持に送らせ、産屋は「鵜羽爲葺草造産殿」と鵜の羽で葺く地域の話に変化させ、「其方産時者化八尋和迩而匍匐委蛇」と蛇を祀る「八国」の神の龍神から和迩神への説話を習合させた説話の変化の過程である。
『古事記』前川茂右衛門寛永版は
其比古遅荅歌曰・・・故日子穂々手見命者坐高千穂宮伍佰捌拾歳御陵者即在其高千穂山之西也
と、歌のやりとりがあるが、その相手は「豊玉毘賣」と不明な「比古遅」で、『古事記』の「比古遅」は『古事記』前川茂右衛門寛永版「如葦牙因萌騰之物而成神名宇摩志阿斯訶備比古遅神」の「宇摩志阿斯訶備比古遅」しかおらず、この神の説話が、すなわち、日本最古の説話ということになる。
また、「高千穂宮伍佰捌拾歳」と「穂々手見」の王朝が580年続いたと述べているが、「火」国の「火火出見」が初代の王で、「彦」を配下にもつ国は以前記述した「伊都国」が考えられ、高祖山の西に高祖神社が有り、伊都は甕棺の中心、最後まで甕棺が出土した国で、約600年の「穂々手見」王朝を裏付けている。
『古事記』・『日本書紀』に対して『舊事本紀』前川茂右衛門寛永版は
翁即取囊中玄櫛投地則化生五百筒竹林因取其竹作大目鹿籠亦云簡今之籠也則内大芹尊於仃籠中沉之海矣覆塩土老翁曰吾將計之計曰海神所乘其駿馬者八尋鰐也是堅其鰐背而在橘之小戶吾當與彼共策乃將火芹尊供往而見之時鰐魚
と籠を船ではなく本当の竹籠と信じて火折を海に沈めてしまい、和迩を鰐としてそれは馬だと海の中に馬が走る奇想天外な説話に変質させ、7世紀の人々が神話だからと原本を信じ込んで書き連ねたのだろう。
そして、『舊事本紀』前川茂右衛門寛永版は
「還鄉即以鵜鶿之羽(?)作爲産屋(?)未及(?)合之時豐玉姬自馭大龜亦云爲龍將女弟玉依姬光海來到孕月巳滿産期方急由此不得(?)合侄入居焉縱容謂天孫曰妾今夜當産請勿臨之天孫心恠其言不聽(?)請竊視私屏則化爲八尋大鰐(?)匐逶虵
と、7世紀では龍も神の象徴ではなく鰐が神の象徴だったようで、神様の鰐に乗ってお産に来るのはおかしいと考えたのか大亀に変質させ原本の「匐逶虵」が形容詞のように残ったようだ。
さらに、『舊事本紀』前川茂右衛門寛永版は
以真床覆衾及草(?)其兒置于波(?)即豐玉姬命自抱而入海郷去矣亦云留其女弟玉依姬持養侄焉去久之日天孫之(?)不冝置其海中乃使玉依姬命持之遂出矣・・・是豐玉姬命聞其兒端正心甚憐重欲歸養於義不可故遣女弟玉依姬命以來養者矣即爲御生一兒則武位起命矣・・・
誕生彦波瀲武鸕鶿草葺不合尊次武位起命 大和國造等祖
と高貴な「衾」と草をゴッチャにして「阿斯訶備比古遅」の「海中」黄海の説話と豊国の「豊玉彦」と「豊玉姫」が治める説話が連結され『日本書紀』の一書に「萬幡姫兒玉依姫命」という説話をもつ氏族が有り、国名が無く、神武天皇の母であり、海幸説話は「阿斯訶備比古遅」・日向国の皇祖・伊都国の皇祖の説話をまとめたもので、そして、皇祖と言えば「髙皇産靈尊」もその中に入っている可能性がある。
山海經』の海外南經に「南方祝融獸身人面乘兩龍」、海外東經に「東方句芒鳥身人面乘兩龍」と、さらに、大荒東經には「有司幽之國帝俊生晏龍晏龍生司幽」、海內經に「帝俊生晏龍晏龍是為琴瑟」と中国の神話時代の福岡県から京都府あたりの日本海側や関東に2つの龍に乗った人物が現れ、帝俊の子たちに龍を名に用いて、『日本書紀』の古さとその龍というのは船であったことが解り、船を二艘繫いで使っていたことが解り、後代は船が当たり前のものとなって、龍の国に対抗した『山海經』の海外東經に「雨師妾國在其北其為人黑兩手各操一蛇左耳有青蛇右耳有赤蛇一曰在十日北為人黑身人面各操一龜」と亀や和邇を神格化した国々が出現したのである。
次からは歴史時代に入る。

0 件のコメント:

コメントを投稿