『日本書紀』慶長版は
「于時髙皇産靈尊以真床追衾覆於皇孫天津彥彥火瓊瓊杵尊使降之皇孫乃離天磐座且排分天八重雲稜威之道別道別而天降於日向襲之髙千穗峯矣既而皇孫遊行之狀也者則自槵日二上天浮橋立於浮渚在平處而膂宍之空國自頓丘覓國行去到於吾田長屋笠狹之碕矣其地有一人自號事勝國勝長狹皇孫問曰國在耶以不對曰此焉有國請任意遊之故皇孫就而留住時彼國有美人名曰鹿葦津姫皇孫問此美人曰汝誰之女子耶對曰妾是天神娶大山祇神所生兒也皇孫因而幸之即一夜而有娠皇孫未信之曰雖復天神何能一夜之間令人有娠乎汝所懷者必非我子歟故鹿葦津姫忿恨乃作無戸室入居其內而誓之曰妾所娠若非天孫之胤必當滅如實天孫之胤火不能害即放火燒室始起烟末生出之兒號火闌降命次避熱而居生出之兒號彥火火出見尊次生出之兒號火明命凢三子矣久之天津彥彥火瓊瓊杵尊崩因葬筑紫日向可愛之山陵」
【時に、高皇産靈尊が御寝床で衾をはおらせて送り出し、皇孫の天津彦彦火瓊瓊杵尊を降らせた。皇孫は乃ち天盤座を離れ、そして天八重雲を排除して、神が命ずる行動で進路を切り開き、日向の襲の高千穗峯に海人の船で降った。既に、皇孫いでたちは、日の二上の天浮橋から、平らかな渚から浮き立つ背後の空国がぬかづくような丘から国を探し求めて通り過ぎ、吾田の長屋の笠狹之碕についた。その地に一人居て自ら事勝國勝長狹と言った。皇孫は、「私の求める国は在るか否か」と問うと。「ここにあなたの求める国が有る。あなたが思うままにしてください」と答えた。それで、皇孫はそこに留まって住んだ。この時、この国に美人がいた。名を鹿葦津姫と言った。皇孫はこの美人に、「あなたは誰の子ですか」と聞くと。「私は天神が大山祇神を娶って生まれた子です」と答えた。皇孫はそれならとこの娘を求めた。すると一夜で妊娠した。皇孫は妊娠を信せず「天神と言っても、どうして一夜の間に妊娠するはずがない。あなたが妊娠したのはきっと私の子ではない」と言った。それで、鹿葦津姫は怒り恨んで、戸が無い部屋を作って、その中に入り誓って、「私が妊娠した子が、もし天孫の子でなければばかならず焼け死ぬでしょう。もし本当に天孫の子なら、やけどもしないでしょう」と言って。火を放って家を焼いた。始めにけむりが立った先に生れ出た子は、火闌降命という。次に火の熱を避けて所に生れ出た子は、彦火火出見尊と言う。次に生れ出た子は、火明命と言う。全部で三子が生まれた。 しばらくして天津彦彦火瓊瓊杵尊が崩じた。それで筑紫の日向の可愛之山の陵に葬った。】と記述する。
しかし、天降った先は葛城氏が書いたのだから宮崎県で、天孫降臨の時はまだ日向国は存在せず、『日本書紀』は九州全体を筑紫と呼んでいるのだから、妥当なところで、「鹿葦津姫」は「襲國有厚鹿文迮鹿文」と襲国の姫で、日向国は熊襲の国の一部で、文章も、一直線には降臨していない。
ところが、生まれた子は「火」国の皇子で、「吾田長屋笠狹之碕」に住んだのだから「吾田津姫」さらに「木花之開耶姫」の説話を「鹿葦津姫」の説話としたのであり、領主の「事勝國勝長狹」の「狹」は対馬の可能性が高く、また「素戔嗚」は「黄泉比良坂」すなわち「月読」の国で大国主の地位を譲り、大山祇神の娘なのだから、素戔嗚の時代、「天八重雲」と「八国」の説話で、「健素戔嗚」の健氏の時代の説話、宗像三女神の対の説話で対馬から宗像に天降った説話なのだろう。
『舊事本紀』前川茂右衛門寛永版には「出雲國簛之河上安藝國可愛之河上所在鳥上峯」と出雲国と安芸国の国境に「可愛之河上所在鳥上峯」が有り、天降った「天津彦根」・「活津彦根」・「熊野櫲樟日」の子のいずれか、おそらく、他所に全く出現しない「天津彦根」は『日本書紀』慶長版一書の中に天津彦彦火瓊瓊杵の代わりに「千千姫命而生兒天火明命次生天津彥根火瓊瓊杵根尊」と「天津彦根彦火瓊瓊杵根」という人物が出現し、この皇子の可能性が高い。
『日本書紀』の各氏族の神話である一書の主語を変えたように、『日本書紀』の降臨説話に多くの氏族の説話を入れ込んだ合成神話ということが解り、葛城王朝の祖先が隠岐から「なか(中)国」の中の豊国の安芸(現代の広島県)→木国(和歌山県)→大和(奈良県)の天降りと安芸→京都郡(福岡県)→熊襲の日向(宮崎県)→大和(奈良県)の征服譚を日本の神話に埋め込んだものである。
しかし、これまでの論証で「君子国」(八岐大蛇・八国)から独立した隠岐の大国(アカホヤ)→なか国進出(大人国)→辰(神)国→東鯷国と証明してきたのである。
しかし、これまでの論証で「君子国」(八岐大蛇・八国)から独立した隠岐の大国(アカホヤ)→なか国進出(大人国)→辰(神)国→東鯷国と証明してきたのである。
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