2018年6月29日金曜日

最終兵器の聖典 神々の盛衰2・・・藤原神話まで

 国産みした「伊奘諾・伊弉冉」神話は『古事記』の「阿夜上訶志古泥」が出雲から隠岐へ移住して「水蛭子 次、生淡島」を産んだ神話が最初、 水蛭子が淡島に住み着いたことが隠岐の島の建国神話で、その中の淡国(大国)島後で八束水臣津野が他の3島を自領にした。
さらに、大国の姫「大斗乃弁」が水蛭子と淡島を産まなかったことにして、隠岐の島の島後を「淤能碁呂島」として産みなおし、実際の大国の建国説話は「大穴牟遅」が侵略した土地の姫の「八上比売」と姻戚になることで建国できた。
「伊奘諾伊弉冉」は大神と呼ばれるのだから、隠岐の島の神で「大穴牟遅」以降に出来上がった神様、「佐之男」が「速」から隠岐の「須」の地域にやってきて「大日孁」の閨閥になり、「大日孁尊 此子光華明彩 照徹於六合之内」と『山海經 海外南經』に「地之所載,六合之閒,四海之内」と記述しているように、五島列島、壱岐、対馬、隠岐の小島3島などの島々を6合と呼んで、これらを「天」を付けた島名にした。
殊に、「六合之閒,四海之內」と黄海から玄界灘のことを記述している『山海經 海外南經』の「狄山帝堯葬于陽帝嚳葬于陰・・・文王皆葬其所・・・有范林方三百里」に出現する狄山は方三百里と『三国志』の「一大國官亦曰卑狗副曰卑奴毋離方可三百里」と島の大きさも同じで4000年以上前に「文王」がいて、帝堯・帝嚳を葬って伊弉諾・伊弉冉より前の話だ。
すなわち、「天之忍許呂別」・「天比登都柱」・「天之狭手依比売」・「天一根」・「天之忍男」・「天両屋」の黄海から日本海につながる6島で大八島を支配する前、大八島の国産み前の状況だ。
『山海經大荒南經』に「大荒之中有不庭之山榮水窮焉 有人三身帝俊妻娥皇生此三身之國」、『山海經海外西經』に「三身國在夏后啟北」、『山海經海內經』に「帝俊生三身・・・均定九州」と記述され、これは、黄海・日本海・太平洋に跨る国を示し、さらに、『神異經』に「東方荒外有豫章焉。此樹主九州」と同じく太平洋に九州が有り、夏后が啟(ケイ・ひらく)約4000年前からと記述する。
これは、『古事記』の「筑紫国謂白日別豊国謂豊日別・・・熊曽国謂建日別」と三身之國の白日・豊日・建日とよく相似して、『日本書紀』の国生みの原型を『山海經』が記述し、「君子之國,其人衣冠帶劍」と衣冠帶劍して、「八岐大蛇」は龍のような冠と、尾から剣が出てきて帯剣と考えられてやはり合致する。
そして、轟B式土器が淡路島に出土していない状況を考えると、大日孁尊と戔嗚の時代が轟B式土器を使う六合の国の状態で、佐之男は「建速須佐之男」と言われるように、また、建は「熊曽国謂建日別」と記述されるように熊襲が出身と思われ海原を闊歩していた神のようだ。
そして、最後の神話が『宋史』の「年代紀所記云 初主號天御中主 次曰天村雲尊 次天八重雲尊次天彌聞尊次天忍勝尊次瞻波尊次萬魂尊次利利魂尊次國狹槌尊次角龔魂尊次汲津丹尊次面垂見尊次國常立尊次天鑒尊次天萬尊次沫名杵尊次伊奘諾尊」である。
『宋史』に「日本國僧奝然與其徒五六人浮海而至獻銅器十餘事並本國 職員今 王年代紀 各一卷 奝然衣綠自云姓藤原氏」と記述し、藤原氏奝然が持ってきた『年代紀』に最新の神話が掲載され、この神話こそ藤原氏の神話と考えられる。
藤原氏は尾張氏から独立した『古事記』を書いた巨勢氏と同系の天御中主を祀る家系で16の国の支配を経て最高権力を得たことを記述し、藤原氏と本系の中臣氏の元明天皇が最初に受け取った史書が『古事記』であったのは主神が同じ天御中主であったためということが良くわかる。

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