2018年6月4日月曜日

最終兵器の聖典 オーバービュー 海外史書2

 距離を非常識にして、「だから内容が信用できない」とする論理は、史書が正しくては困る人々が異常値と信じ込んでいるだけで、常識ある人々は「里単位が違うのでは」などと正しく読むための方策を考え、それは『三国志』も同じで、『三国志』の里単位は壱岐の直径14から16Kmが「方可三百里」から1里約50m、唐津市から糸島市まで30Kmの「東南陸行五百里」で松浦川から26Kmだ。
里単位を1里約50mにすると、絶対に邪馬台国を筑後山門や大和に誘致できないため、壱岐の直径を見なかったことにして1里約400mと信じ込ませることで、ほら『三国志』どおり読むと日本列島を突き抜ける、だから『三国志』は信用できないと足りないありもしないのに船行・陸行部分を継ぎ足し、方向を変えて強弁せざるを得ない、万二千里を無意味にする論理である。
里単位を1里約50mで距離は『梁書』と同じ、国境間距離で対馬・壱岐・伊都・不彌の領内を加える、そういう常識的方法で読めば『三国志』は整合し、後代に常識はずれな地図が出現して、異様に日本列島が大きかったり、東と南が異なるが、後代の中国人ですら里単位が変わったことを理解していないために発生した錯誤で自国中国は正しい里単位で描き、短里の古い資料も信頼したため歪な地図となった。
  また、『山海經 大荒東經』の「君子國在其北,衣冠帶劍」に対し、『神異經』では「男皆朱衣縞帶元冠」と共に帯冠し「東荒山中有大石室東王公居焉」と東王が住み、「東方荒外有豫章焉 此樹主九州」と九州と呼ばれていたと記述し、大荒東が日本を証明している。
勿論、古代においては女上位で「中荒經十則」に出てくる西王母が上位で中荒の中国中枢に存在して、九州に対して「九府玉童玉女 」と九府があり、州と府どちらが上位かは一目瞭然で府が上位で後に九州を中国国内に当てはめたもので、八岐が八州と同じで九岐・九国の意味だ。
その九州の三身国は『山海經』の『大荒東經』・『大荒南經』・『海內經』に記述されて、黄海・日本海・太平洋に接する現代の九州で、白日・豊日・建日の3身の国で帝俊生三身,三身生義均」と帝俊が国産みし、『古事記』の4面以前、『日本書紀』が天降りする対象国である日国の話だ。
そして、帝俊とともに黄帝も『大荒西經』・『大荒北經』・『海內經』や夏后も『大荒西經』・『海外西經』・『海內南經』とモンゴルから朝鮮半島・東シナ海の領域の人物で、極東の遺跡の出土状況を物語っていて、中国建国前の黄帝や夏后より前に国が既に散在していた。
また、帝俊・黄帝・夏后の記述から、『山海經』・『神異經』の対象の「現代」は黄帝・夏后の時代で、黄・夏という人物に対して尊称の帝・后をつけて呼び、 帝俊は歴代の帝の中の俊ということで、黄帝・夏后より前の人物とわかる。
さらに日本海側から太平洋までの君子国の南には『山海經』の『海外東經』・『大荒東經』に「大人國在其北,為人大,坐而削船」と船をもつ大人國があり福井県三方湖周辺の鳥浜遺跡などの縄文遺跡からは丸木舟の出土と1万2千年前の漆が出土し、河姆渡遺跡周辺の漆と船の出土と無関係とは思えない。
『山海經 大荒北經』の大人国は別国か不明だが『出雲風土記』の「国引き神話」は日本海の対岸の国を引いていて、『山海經 海內東經』の「蓬萊山在海中 大人之市在海中」と蓬莱山の近辺の黄海の中に流通拠点を持っていたようだ。
『山海經』の『海外東經』から『大荒東經』にかけて「君子之國」があり「其人衣冠帶劍」と冠を戴き剣を帯びた人々と記述し、海外東すなわち日本海東部の石川県中屋サワ遺跡に石冠と石刀が出土しそこから太平洋側に至る国が存在し、君子は中国国内の『西次三經』の「天地鬼神是食是饗 君子服之以禦不祥」・『海內南經』の「巴蛇食象,三歲而出其骨,君子服之,無心腹之疾」と交流が有る。
大人国が出雲を含んで「稲田宮主須賀之八耳神」の国、君子国が支配する出雲の『出雲風土記』の「古志郷 即属郡家。伊弉那彌命之時、以日淵川築造池之」、『古事記』の「高志之八俣遠呂知」、帯冠帯刀したオロ神(チ)の配下の宮主で官名耳の娘たちを人質として上納させる姿が思い浮かぶ。

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